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現住所は空の下

『現住所は空の下』高木護著 1989 未来社

一期一会 迷犬シロギス

 「散歩」ということばはあまり好きではないから、そこらへ歩き出るときには「ぶらつき」にとか、「ぶらぶら」にとかいうことにしている。散歩にといったら、身分に合わないぜいたくごとのようで、気が咎めた。その日くらしを心がけながら、その日くらしもおぼつかない、わたしみたいな甲斐性なしにはぶらつくか、ぶらぶらのほうがお似合いである。
 というわけで、先日のこと、そこらをぶらぶらしていたら、中型よりもやや大きい、瘦せこけた白犬と出合った。よごれかぶっているので、白犬らしいというべきか。白犬は住宅地の急勾配の坂道の下から、坂を見上げていた。
 ー野良公かい
 わたしが近寄っても、逃げようとしない。ふりかえった目がしょぼしょぼしていて、とても悲しげである。老犬かと思ったが、よごれかぶって瘦せこけているけれど、体つきやしっぽからしたら、そうでもないらしかった。
「どうしたの」
 問いかけてみた。犬だから、人間語はしゃべらないが、
「ククンクン....]
とみじかい犬語を発した。
 そのみじかい語から察すると、捨て犬というよりも、捨てられ犬らしかった。どこかで飼われていたのが、転勤か、引っ越しか何かしら知らないけれど、もうおまえなんかいらない、面倒だと捨てられたらしい。それでも飼い主だった人を捜して歩きまわり、疲れ果ててしまい、道にも迷ってしまったらしかった。
ー捨てるなんて、酷だよ。薄情だよ 
 こんなやさしい、いい顔をした犬を捨てるとは人非人め!と腹も立ってきたが、それよりも胸が痛くなってきて、涙ぐんでしまった。
 ーでもな、おまえを連れて帰るわけにもいかんのだ
 いいわけをいった。
 その日くらしのために、餌代にもこまることもあったが、わが家にはすでに中型犬が一匹、小型犬が二匹、猫が一匹いた。いままでは女房が世話をやいていたが、半病人というか、手足が利かなくなったので、犬猫の世話から、おさんどん役まで、わたしがやらなければならなくなった。これ以上は限界である。
 ーごめんな
 知らんふりをするしかなかった。

 捨てられ犬の白犬から、わたしが子供のころ、村にいたシロギスという白犬のことを憶い出していた。
 毛が白なのでシロと、中型犬だったがやせていたので、痩せぎすのギスをとって、村の人たちは「シロギス」と呼んでいた。
 シロギスは村の雑木林の中にあるふるい炭窯を、ネグラにしているようだった。一日じゅう、雑木林を駆けまわり、鳥や兎を追いかけているらしかったが、一匹も獲ることができないのか、腹を空かせては村のどこかの家にやってきて、「クワンクワン」と鳴いて、餌をねだった。
 村の人たちは自分の家の飼い犬でも帰ってきたように迎え、めしや汁ののこりがあれば、汁めしにして与えたり、めしも汁も残っていなければ、からいもの煮たのを食べさせたりした。食べ終わると、また「クワンクワン」と鳴いて、しっぽを二、三回振ると、雑木林のネグラに帰って行った。
「シロギス!」とよぶと、聞こえるところにいたら、「クワンクワン」とこたえるけれど、何をしているのか、なかなか姿を見せなかった。
 村の子供たちが遊んでいると、しっぽを振りながら、ふらっとあらわれることもあった。
「シロギス!」とよんでやると、
「クワン、クワン」
 うれしそうに、二つだけ鳴いた。
「こら、わりゃ、馬鹿犬じゃろう」
 からかっても、「クワン、くわん」と、うれしそうに鳴いた。
 子供好きなのか、子供たちが背中に跨がっても(またがっても)、しっぽを引っぱっても、小突いても、「クワン、クワン」としっぽを振り振り、うれしそうに鳴いた。
「シロギス、痩せぎす。ない、太か鳥ば捕まえてけえ」
 "ない"というのは "おい"と同じで、よびかけであった。
「クワン、クワン」
「ない、山の兎ば捕まえてけえ」
「クワン、クワン」
「ええか、わかったか。わかったなら、はよう捕まえてけえ」
「クワン、クワン」
 シロギスはしっぽを振って、「ハイ、ハイ」というように二つだけ鳴いた。

 学校の帰り道だった。
 道の下の小川に、ひょいと目をやったら、岸辺の草やぶにいるシロギスの姿が見えた。
 何をしているのだろう。
 わたしはそっと近づいてみた。
 シロギスは小川の魚を狙っているらしかった。
 そこらは浅瀬で、春から秋にかけて、アサデが群れをなしていた。大きいのは二十センチくらいあった。小石に腹をこすりつけているアサデめがけて、さっと手をのばしたら、何匹でも手摑かみできそうだった。
 シロギスの邪魔をするとわるいから、道に腹這いになって、首だけのばして見つめた。だが、わたしはシロギスにアサデを獲らせたかったが、アサデには獲られないように逃げてもらいたいという、どっちともつかずのへんな気持ちだった。
 と、シロギスは背を丸めるようにして、小川めがけて跳びかかった。
ばしゃん!と水音がした。
 一瞬、大きなアサデをくわえたシロギスの姿を想像した。
 ところが、どうだろう。シロギスはずぶ濡れになっただけで、小川から這い上がってきた。失敗したらしい。「クワン、クワン」と鳴いている。ずぶ濡れのシロギスを見て、わたしはとうとう笑い出した。

***

なんと わたしは今日はいっぱい打ったことでしょう!
捨てられ犬の白犬は1989年頃の年を取った高木さんと奥さんが3匹の犬と1匹の猫ォ飼っている話ですね。わたしたちは60代後半で20歳の猫を最後に もう飼うのはやめようと云っています。こっちが世話してもらうのもそう遠くないような気がするからです(笑) 外にいる野良猫や野良犬には 生きて行くのは大変なことだなあと思います。
犬はほえたり かみつこうとしたりするので 子供が小さい時は 「あの犬 すぐかみつこうとするので なんとかしてください」と保育者の先生に言ったことがあります。
高木さんの野良犬の話を読んでると あの犬は保健所に連れて行かれたんだろうなと 思い出します。その犬はあるときは 子供をやっきになって育てていました。その姿のうしろには シロギスのように ずぶぬれになりながらも魚をとろうとしたりがあったのだなあと。そのうえ子供におっぱいをのませないと。
シロギスは「クワン、クワン」といつでもしっぽをふっていますね。「から、わりゃ、馬鹿犬じゃろう」などと子供にはやしたてられながらも うれしそうにしっぽをふる。
この世に生をうけたら 走り出す 食べ物を捜し ねる 産む けんかもする
考え事や なやみごとは 人のぜいたくな趣味でっか?

それにしても 高木さんの文章はどういっていいかわからないほど いいですよね。

さいならさいなら

 

《 2016.01.09 Sat  _  1ぺーじ 》