『現住所は空の下』高木護著 未来社 1989
一期一会
貧乏神さん
「子どものころの、仲よしの友達がいますか」と訊かれたら、わたしは「はい、いますいます、いますとも」と「います」をくり返し、強調してこたえるだろう。
友達といっても、人間の男と女とばかりとは限らない。他の動物たちだっているかもしれない。虫たち、鳥たち、魚たちのどれかを友達という人だっているかもしれない。山を、海を、川を友達という人もいるかもしれない。
「あなたの友達というのは、どんな人ですか」といわれたら、わたしは「貧乏神さんです」と即座にこたえるだろう。すると訊いた人は顔をしかめ、友達がいますかという話はたいてい、それで打ち切りになった。たまには「ほほ」という顔をする人もいるが、それ以上のことは訊いてもらえなかった。訊かないのが紳士淑女のたしなみだと心得ているのだろうか。それはともかく、貧乏神でも神様のうちだから、わたしはおろそかに神なんてよび捨てにせずに、神様とか、神さんとかとあがめてきた。
わたしの子供のころ、父は働き者だったが、いつも失職していたし、職も転々としていた。酒好きだということもあったが、正直者で、まじめ過ぎるというのがわざわいしているらしかった。その日ぐらしといえば、世間体がよかったが、一升買いとか、五合買いの米や麦さえも買えない日があって、一日一食どころか、大根の葉っぱや草っ葉を刻み込んだ塩汁を啜って(すすって)、めしの代わりにさせられたこともあった。
「ぜいたくはいかんぞい」
父がいえば、
「ほんにですたい」
母が相槌を打った。
「きょうはな、おまんまが食えんだったが、こげんうまか汁があるけん、よかばい」
「そげんですたい」
「こげん日ばっかりはなかばい。あしたはな、おまんまをうんと食わせてやるばい」
「父さん一人に働いてもろうて、すみまっせんですたい」
母は常に父を立てていた。
どんな貧乏くらしの日々でも、父と母は明るく振舞った。
「あのな、家には貧乏神さんばってん、神さんのおらすけん、安心ばい」
父は一ぱいの茶碗酒にありついたときには、特にご機嫌で、貧乏神さんに相伴(そうばん 相手にしてもらう)でもしてもらっているように、にこにこ顔だった。
そして、父と母はわたしたちきょうだいに、
「めしが食えるごつなれば、それでよかっばい」
「はようおとなになって、父さんのごと、働くごつなりなはり」
「というてもな、欲たれてはいかんぞい。人様の分まで盗ってはいかんぞい」
「ほんにですな、そげんこつしたら、畜生になってしまうですたい」
「おとなになったら、なんか仕事ばして、ひもじゅうなかしこ、めしが食えるごつなると、それでよかよか、よかっぱい」
といいき聞かせた。わたしたちきょうだいは貧乏くらしこそ、人間たちのほんとのくらしで、当たり前だと思っていた。
わたしはぼや助で、頭も体も弱かったから、十四から小僧さんとして働きだした。自分で自分の口をやしなうのが、とてもたのしかった。「おい、こら、ボケ!」と怒鳴られながらも、のろのろと一生懸命に働いた。
***
貧乏神さんを 一回見たことがあります。画賊という人たちが作っている「びんこ」「貧乏神」の人形です。これを わたしは驚きと好奇心で手に取りましたが いざ買うとなると
「やっぱり やめとこう」と思いました。なさけないはなしです。
わたしは 結婚して ちょっと貧乏になったことはありますが 驚くほどになるまでに
なんとかおさまりました。
この高木さんの貧乏神の話を読んでると かりにも 神という名がつくお方を さけようとしたわたしが 恥ずかしくなりますが こんどその神の人形に出会っても やっぱり「やめとこう」と買わないだろうと 残念なことに 思うのは何故でしょうね。
ここでは 高木さんのご両親は 人にとって 大切なことを やさしく 言われましたね。そして そこが 神さんみたいで 実は 2人は 貧乏神という 人たちだったんじゃなかろうかと 言いかけて また これでは失礼なの?と迷ったり わたしは はっきりしないやつなのでした。この話には続きがありますが いずれまた