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ブロンテ姉妹

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『ブロンテ姉妹』その知られざる実像を求めて 中岡洋 NHK
写真は世界若草文学全集の C.ブロンテの『ジェーン・エア』大久保康雄訳 三笠書房
1959です。

貧富の差

 また、産業革命による機械化のおかげで中産階級の人々には余暇が生まれた。教育が普及したこともあり、人々はこの余暇を利用して読書をするようになった。しかし中産階級の人々にとって三巻本の小説などはまだ高嶺の花であったため、月々1シリングのより安価な雑誌、『ブラックウッズ・マガジン』や『パンチ』などが広まった。ちなみにキースリーの旅籠一泊代は一シリングであった。一シリングは現代の価値基準からみると二〇ドルから二〇〇ドルに換算されるらしい。読書人口が増加するとともに、おもしろい小説を読みたいという読者の欲求が、小説需要の高まりに繋がった(つながった)。その結果この時代に多くの小説家が輩出されることになった。たとえばチャールズ・ディケンズ(1812−70)、ウイリアム・サッカレー(1811−63)などは小説を分冊出版し人気を博した作家である。
 しかし、産業革命は文明開化の良い面だけをもたらしたわけではなかった。人口は1810年には約1000万人だったのに対し、1851年には約2000万人に急増し、特に都市に集中した。また『嵐が丘』のヒースクリフのように都市には捨て子が多く見られ、その子ども達はたちは心無い工場経営者によって不当な扱いを受け、児童労働が社会問題となっていた。ディケンズの『オリバー・ツイスト』(1839)には、救貧院の
劣悪な環境と子どもに煙突掃除をさせて賃金を得るおとなの姿が描かれている。
 地方では工場の集中と相俟って、人口が工業地帯に集中し、下層労働者の劣悪な生活環境がますます悪化していった。労働者の都市集中と過疎の問題が同時に発生し「腐敗選挙区」が1832年廃止された。
 パトリックが赴任したヨークシャーは毛織物製造業が盛んな地域で、羊毛を梳く(すく)機械が発明され、工場主は新式機械を導入し、経営の合理化を進め、熟練した手作業労働者を大勢解雇した。その結果、失業職人たちによる機械破壊運動がランカシャーで発生し、ヨークシャーにも飛び火して工場や工場主が襲われた。この暴動は指導者とされる人物の名前から「ラダイツ」運動と呼ばれ、労働史に残っている。
 パトリックは法と秩序を説き、乱暴を止めるように主張したため、工場主に味方するかの印象を与え、暴徒に狙われるようになった。彼は司祭らしくもなく、常にピストルを携帯せざるをえなくなった。こうした地方と都市、貧しき者と富める者の格差はまさしく産業革命がもたらした負の遺産というべきものである。

***

時は日本でいえばまだ徳川時代。18世紀後半のイギリスの産業革命です。
ええ なんですって?ペリーが浦賀沖に来航したのが1853年。ペリーの来航目的はじつはこういうふうだったんです。イギリスだって目的は同じでっしゃろなあ。
じゃが 日本は「奴らの本当の目的は 貿易させろ にきまってる」と考えたんでっしゃろなあ。
・漂流者に対する、日本の人道的対応と速やかな母国帰還を求める
・米国船のための石炭補給港の提供地を得る
・貿易関係を結ぶ

漂流者は本国に返してもらわれへんやったの?

あれ!本筋からだいぶん流されてるー! ブロンテ姉妹はどこの国のお人でしたっけ? イギリスやん。
ま、そのころはアメリカの他にロシア イギリスが日本に通商を求めてきてたんですね。

ペリー来航(1853)より10数年前の話ですわ。つまりなんですか 産業革命が発生したのはイギリスなんですよね。ヨークシャーでは新式機械を導入すると 労働者が少なくてすむようになった訳ですね。そうすると解雇された労働者がだまってない。生活がかかってますからね。
いっしょやなあ。いつの時代も。
日本の鎖国の時代は1867年大政奉還の時に終わるんでしたっけ?
ふむ 正確にもの言うのんって むずかしいでんな。
先ほど終わった「はなもゆ」では群馬の生糸をあれはどこに輸出する話でしたっけアメリカかイギリスか。ペリーはアメリカやで。しかしブロンテ姉妹はイギリス。やっぱり勉強せんと セントルイスよ。冗談ですよ
中産階級の人の余暇に読む読書 これがやがて 読書人口が増え 多くの人気小説家がうまれることになるんですね。 

さいならさいなら


《 2015.12.16 Wed  _  1ぺーじ 》