who am ?I

PAGE TOP

  • 10
  • 24

色彩の冒険者

「色彩の冒険者』中山公男の続きです。

 いずれにせよ、近代絵画の推進者たちは誰もが色彩の冒険家でありコロリストであった。
だから、私は、誰をコロリストと名づけるべきかについて大きなためらいを感ずる。しかし常識的に単なるポリクロームの作家をとり上げるよりは、なんらかの個性的な色彩に憑かれ、開拓した画家たち、小さな海峡の入り江の奥深くで、宝石のような海の色をみいだし、そのそこにゆらめく自己の影をみいだし、ナルシスのように見つめた画家たちを、むしろここでは色彩の冒険者としてとりあげておきたい。

青 赤 緑

「色彩は目の音楽だ。それは音符のように結びつけることができる。...色彩のある種の調和は、音楽そのものですらも予期しえないような感動を生み出す」ドラクロワがこう書いたとき、彼は、正確にヨーロッパの色彩の伝統に結びつき、同時に、近代絵画の色彩の魔術的な能力の開発を啓示していた。
「知性は色彩の郷土ではない。色彩が否応なく惹きつけ、そのきわめて魔術的な能力を際限もなくくりひろげうる郷土とは、魂と呼ばれる国なのである。」とルネ・ユイグがいうように、色彩は、形とちがって、ほとんど直接的に私たちの心に語りかけ、なにものか、私たちの内奥に眠っているものを呼び起こす。ドラクロワは、近代において、最初に、そしてもっとも正確にこの能力を駆使した画家である。彼がみごとに調理してみせる青、赤、緑の三原色は、内なる情熱の総和だ。モロッコ旅行以後にこころみた色調分割の手法にしても、赤の情熱に支配され、導かれていることを忘れてはならない。

***

「近代絵画の推進者たちは誰もが色彩の冒険家でありコロリストであった」
コロリスト どういう意味でしたっけ colourist(色彩派の画家)ですか。そうなんだ そうなんですね。

「知性は色彩の郷土ではない。色彩が私たちを否応なく惹きつけ、そのきわめて魔術的な能力を際限もなく広げうる郷土とは、魂と呼ばれる国なのである」
これまたそうなんだ。

「色彩は、形とちがって、ほとんど直接的に私たちの心に語りかけ、なにものか、私たちの内奥に眠っているものを呼び起こす」

「常識的に単なるポリクロームの作家をとりあげるよりは、なんらかの個性的な色彩に憑かれ、開拓した画家たち、小さな海峡の入り江の奥深くで、宝石のような海の色をみいだし、その底にゆらめく自己の影をみいだし、ナルシスのようにみつめた画家たちを、むしろここでは色彩の冒険者たちとしてとりあげておきたい」
ポリクロームという言葉がわかりませんが 「個性的な色彩に憑かれた画家」それまでは
自分勝手な色彩はなかったということなのかしら?
ドラクロアの絵を見てみようと思いますよね。

さいならさいなら
《 2015.10.24 Sat  _  1ぺーじ 》