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色彩の冒険者

これはどこから切り取ってきたのかなあ。「色彩の冒険者」と題して中山公男という人が書いています。 
印象派がどういうものであったのかーこういうところからも教えてもらっているところです。さてどんなことが書いてあるのかな。

色彩の冒険者  中山公男

 ホフマンスタールは、ヴァン・ゴッホの絵に、「事物のもっとも内なる生命」の表現された色彩をみてとった時の感動を短いエッセイにまとめている。「もし内なる生命が表現されてないとすれば、色とはいったいなんだろう!」。この感動は、たとえば、中世の神学者たちがステンド・グラスの美しさに感じ取ったプロティヌス風の感動に共通するものだし、今日の私たちの色彩感動をも説明してくれる。
 私たち現代人は、現実生活においては、色彩に対して一種の不感症状態におちいりつつある。無数の色彩は氾濫しているが、調和を失い、統一性を見失っている。極端にいえば色盲の時代だといってよい。しかし、それだけに、ポリクロームの美しさに取り囲まれていた過去の人たちに比べて、主観的色彩の象徴性に対して鋭敏になってきたともいえるのではないか。ゴヤ、ドラクロア以後、そしてボードレール以後、近代絵画は、ポリクロームの豊かさから、急速度に、単一な色彩が構成する "小さな象徴的世界" の魅惑に沈潜(ちんせん)しはじめた。じっさい、近代絵画史の展開を、「形態の冒険」としてとらえることが必要である以上に、「色彩の冒険」と考えなければならないと私は思っている。
「形態の冒険」が、きわめて古典的な伝統にのっとって行われたのと同様、色彩の冒険家たちも、古典の定式に従いつつ、一つ一つの海峡の色彩を極めていった。たとえば、ルーベンスの「若い母の肖像」とルノワールの少女像と、そしてセザンヌのある種の水彩を見比べてみると、完全に同じパレットであることを発見する。この見事な伝統を延長すれば、中世のミニアテュールやステンド・グラスへと至るだろうし、細分化すれば、バロックから印象派に至るほとんどすべてのすぐれた画家たちをみいだすことになるだろう。そのなかのどの作家をとりあげてみても、色彩は、単なる現実指示色としての役割以外に、デコラティーフな価値と内面指示の象徴的な価値とを担っている。しかし近代は、その最終的な役割に対する比重を次第に増すことを要請した。いわゆるゴヤの「黒い絵」は、その最初のもっとも典型的な徴候だろう。この、少なくとも当時においては異常な冒険は、華やかな多色の中に生きたロココの終末に成立した近代的人間像のおとす巨大な影を私たちに連想させる。あるいは、これは冒険というより予言といった方がっよいかもしれない。冒険の、具体的な、そして技術的な準備は、印象派によって行われた。彼らの色調分割の手法は、その後の画家たちに、必然的に、純粋色の価値を教えたのである。印象主義は、単に光を求めたにすぎなかった。しかしその手法は、色彩のケープタウンを迂回させる結果となったといえばよいだろうか。印象派の中に生い立ったモネ、ルノアール、ドガ、セザンヌたちが真っ先にそのことに気づき、もはや単に光を求めてではなく、色彩の大洋を求めて航海を始めている。
ヴァン・ゴッホ、ロートレック、スーラ、そしてナビ派とフォーヴが、この冒険をより意識的に継続した。そしてデコラティーフな価値と内面指示の価値の2つを純粋に求めたとき抽象が成立したといえる。キュビストが行った色彩に対する否定的な実験も、このプロセスの中においたとき初めて意味をもつものだ。

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さて、わたしには難解な文章を ゆっくりかみしめるように読むことをやってみますね。わかるんやろか。
ゴッホの色彩の中に 内面が現れている。ふむ わかるなあ。いま別のところでスウラーをやったでしょう。「この理知的なおにいさんと(スウラー) ゴッホとは点描の点の大きさが違うなあ」などと思ったものです。「ゴッホはどっちかというと激情型だと思うから スウラーの影響を受けるなんてことはないよなあ」とさらに独り言は続くのでした。
つまりゴッホはばっちしとこの理知的なスウラーに続くものをもっていた?
近代絵画は「形態の冒険」と同時に「色彩の冒険」だったんですよね。古典の定式に従いつつ、一つ一つの海峡の色彩をきわめていったーいいこといいますよね。
「たとえばルーベンスの「若い母親の肖像」とルノワールの少女像とセザンヌのある種の水彩を見比べてみると、完全に同じパレットである」ー そうなんだ。
純粋色の価値をおしえた印象主義。「しかしその手法は、色彩のケープタウンを迂回させる結果となったと言えばよいだろうか。」「モネ、ルノワール、ドガ、セザンヌたちがまっさきにそのことに気付いた」それってわたしはわかりません。私も気がつきたいなあ。
「デコラティーフな価値と内面指示の価値」「2つを純粋に求めたとき抽象が成立」

ふむ わたしはずっと印象主義のところをなめてみたりさわってみたりしてるんですけど
わかるんやろか

冒険は迂回してることに気付いたら...

さいならさいなら

《 2015.10.14 Wed  _  1ぺーじ 》