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1ぺーじ

『音楽と文化』河上徹太郎 創元社 昭和13年の続きです。

ドビュッシイ

 本当のことをいうと、いかなる芸術にあっても廿(20)世紀になってからの流派をあげて論じることは危険なことである。それは近代には歴史がないという一般原則の外に、20世紀初頭の4半世紀というものは、どう考えても革命と建設の時代ではなく、したがって一つの確固たる指導原理を持った流派というものは存在し得ないからである。しかも時勢に進展するに必要なだけの革命はたしかに存在した。しかしその革命は、その結果として人々が新しい時代を建設するよりもむしろ破壊を楽しみ再建の理論を弄ぶ(もてあそぶ)に過ぎないというほどの革命なのであった。
 西洋音楽は、バッハ、ヘンデル、以来主として(独逸?)が主流を形作ってきた。とくに19世紀という時代は(独逸?)浪漫派のヘゲモ二イの下にあった。この楽派はベートーヴェン、ウェーバーに発し、シューマン、メンゼルスゾーンを経、ブラームスに及んで、更にグスタフ・マーラーやマックス・レガー等を生むにいたると、非常に精妙な分析的才能や、この派の精神を祖述再建する能力には富んでいるが、真の音楽的想像力には乏しいところの、一種のデカダンスにおちいったのであった。

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このところむずかしいです。外国語です(笑)
19世紀西洋音楽は浪漫派のヘゲモ二イの下にあった?この楽派はベートーベン、ウエーバー、シューマン、メンゼルスゾーン、ブラームス、マーラー、マックス・レガー
この時代の革命とは 建設の時代というより 破壊の時代だった
そうなんですか?

さいならさいなら(まるで逃げるように)



《 2015.09.29 Tue  _  1ぺーじ 》