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おたより

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Fさんの好きな絵です。ありがとうございます。


 おはようございます。
この絵、マーク・ロスコウの絵を見ていて なんだか説明できないような気持ちよさがあるのと同様のものがあります。
中毒性がありそう。
自分の中の深いところの何かがこういう絵と共鳴するのかな。
この絵は とても身近なものに感じます。

絵っていいですね。
言葉を使わなくていいから。
言葉は書けば書くほど、書けないことを際立たせる性質があるみたい。
ある詩人が詩の一節で
「しるされた文字は、しるされなかった沈黙の紙型。」
としるしていました。

絵を描くくとき、どんなふうにして描きはじめることができるのですか?
描くことができるのですか?

俳人や詩人が言うように
天かどこからかふってくる
自分はそのアンテナみたいなものにすぎない
という感じですか?

自分の中の奥から
勝手に発酵してくるものをとらえる
という感じですか?

***

Fさん おたよりありがとうございます。
わたしはこんな問いかけをして下さったFさんに とてもよろこんでいます。
つい調子に乗って 天から天使がやってきて いっしょに描いてくれたんです といってしまいます。
マーク・ロスコウの絵 まえに軽井沢の西武美術館ですか 大きな絵がありましたね。夫は「この画家の絵はすごいぞ。ほかでも見たけど ・・・(忘れたのです後の言葉)」そう言いました。Fさんがごじぶんのなかの深いところでロスコウの絵と共鳴されるのは それはやはり言葉では言い表されないものなのですか?
私のこの絵は具体的です。おおきなエメラルドです(笑)が、ロスコウの絵は具体的ではない言葉でもない(?)そこに共鳴するFさんに探りを入れてみたいのです(笑)
わたしは自分の心のというか精神というかそういうところにふれながら描くことがあったのかなあ? ところがみをぎさんやぴーさんや露覇主さんなどがそしてFさんが わたしとはちがったところで感じて下さっていることに 不思議を感じるとともに わくわくします。
わたしは 突き詰めて描くことはあったかなあ? 目をつぶっては描けないように いつも目は欠かせませんでしたが。 でも 描くことは ずっと楽しかったのです。
それだけの者に 「ふってくるのですか?」などといってくださることは うれしいので これからも そういうことを 言って下さいね。お待ちしています(笑)
「しるされた文字は、しるされなかった沈黙の紙型」 とてもいいことばですが Fさんは言葉を綴ることは なにか言い表し切れないものを感じているのですか? ふかく掘り下げようとする芸術家達 わたしはそれはしませんでした。とびまわって つかまらないように こっそりかくれたりしながら そうしていることがくせになって いまもです。「しるされなかった沈黙の紙型」あっこれは苦しいですよ。どうか気にせずに いろんなところにひょいとのっかって 気付いたことなどを 書いちまってください。そういうことじゃないですか すみません はい。
でも ひとはいつ死ぬかわからないから そうやって表現してきたことを みんなにこういうかたちで見てもらっています。おそれいります


《 2015.09.29 Tue  _  おたより 》