『かってこんな話になった』NEKO美術館発 2000年頃だと思います。
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かって 立岡さんと(かっては たておかさんなどとまちがえてもいた)現代美術の話をしたことがあるんです。 立岡さんは上のような渋い顔をして しかし 彼の話し声はとてもいいと言う人もあったりして 何日か 話したんです。
立岡(T) 現代美術ちゅうのは つくりっぱなしで それで見る側に解るとでも思っとんのかいな
のりばっぱ(N) ほんま ほんま
調子良く話はすすむはずだったんですが 考えてみたら 現代美術に説明とか解説はつきものですよね。それも結構長い。その説明とか解説を読んでなるほどとこちらは思うわけで。 抽象的なことやってるわりには すでに作品の方向性は一つで 作者絡みなのは どうかなと なんだかえらそうに言ってしまいたくなるのは どうしてかな(笑)?
(T) それになあ 現代美術ってそんなにむずかしいことなんか えっ?
のりこさん あなたは そこんところが そこんところで(くりかえしてるわ) 一歩すすんでるよ
(N) えっ そうなんですか。一歩すすんでるんや わたしは(頭でくりかえすのでした)
その時は いい気分だったのです。たとえば わたしはどんな現代美術をやってるかというと
「雑誌おにぎり」
雑誌は文字や写真やいろんなことがのっています。でそれを丁寧に読む人 パラパラと読む人いろいろいますよね きっと。まったく読んでない人も。とくに読んでない雑誌をやぶって「雑誌おにぎりにする」それをばらまくかな。おおきなごみばこにほうりこむのもいいかな。「雑誌おにぎり」はそれからどうなるか。
いちおう人にもゆだねなくちゃね。とんでもないアートの世界につれってってくれる人もいるかもしれない。
で わたしのけったいなところは それを実行寸前でやめること。ただの実行力のない奴だって?その通り。実行すると ものすごー疲れます。 これも当たり前だのクラッカーですよね。それにね 「雑誌おにぎり」はおおぜいの人を巻き込むほどの事かと思うと 空恐ろしくなるんですよ。
(ここでコーヒーでも飲むわけです)
(T) なあ いいかげん なんかやってよ あしぶみしてんと
(N) ・・・(おしだまるのりばっぱ)
この前見たんですけどテレビで 楽器を持って 楽器をかきならさない ミュウ寺シャン(これいけるなあ)ミュージシャンのグループがいたんですけど これと「雑誌おにぎり」とどう関係するのか たいしてしませんよね。 気の弱い人が(わたしやん!)何かの調子に大きく出て かんじんなところで 「すんません やめときます」みたいなの。
でもね 「最後までやりましょう」とよく先生とかにいわれましたよね。
で 唯一最後までやれる事が わたしにもあるんですよ。
文面における 「ひとりしばい」
ふふふ あなたもできるでしょう。 ところがみなさんは 「実行力」だとか「最後まで言った事はやる」などといった教育を受けてますよね。行動せよと。
周りに 「すんません やめときます」なんていうと しろいまたはくろい眼で見られますよね。だから容易にはでけないの みなさんは。 このつづきはまたね
さいならさいなら