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おたより

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kurataさんからのおたよりです。年賀状によりますと平成12年2000年の頃のものです。ええっとkurataさんは大正13年生まれです。94才ぐらい?計算できないのです。
お元気ですか。 毎年kurata さんの展覧会の写真 きてたんだけどな。
長い長い手紙とにかく 読み返してみましょう。


お手紙じっくり拝見しました。面白くて 年の瀬にくりかえして読みましたよ。このように物語のような手紙を交換できるのは 女学生時代以来です。楽しいですね!!
今日 武さし野美術学園で彫刻家(80才くらい?)の掛井五郎氏の講演を聴きました。 東京芸大で彫刻家を長く続けたい為に ひたすら学び続ける為に ゆっくり おそく いいかげんになる(中道) クラシック音楽を聞き 読書をし 詩を詠じ おいしいものを食べて いまだに彫刻をやっていますということらしいです。 その講演の題名は「木が人に見えます」
芸大時代の 優秀な人というのは何でも速くなり急ぎすぎて体をこわして 自殺したくなったり 止めてしまう人がほとんどだというのです。今は科学のスピード時代だから若い人は気をつけないとすぐ心の初老がきてしまうかもしれませんね。

イエスキリストが、めしいをいやされたとき 「何が見えたか」とお問いになると「人が見えます 木のように 見えます 木があるいているようです」と目の見えない人が初めて見たときに感じたということ これが正しい見方とおっしゃっているように思われました。 ひとは生まれたときから教えられ続けていて それでものを見て決めてしまう。考えてしまう。そう云うことのかと私は思いましたが・・・?
また木は 葉花実をおとして真の姿となる。人間は枯れ木である。根がなくても自らが土中の水を吸い上げやがて芽と葉を出す。 人間優位でなく 植物動物すべて同等であるなど....。
ミロは言ったそうです「夢は限りなく人を育てる。見たい夢を見る。目が覚めている時に夢を見る」 掛井氏の話はわかるようなわからぬようなところもありますが ふと貴方が頭に浮かびました。
のりこさんの「あひるのおかあさんアトリエ(最初そうアトリエに名前を付けました)」でも キッチンでも 外を歩いているときでも ミロのいう昼間の夢が浮かび 見れる人なのでしょうと思いましたよ。
つながりのある人ってこういうところでつながっているのかもしれませんね。
あなたのお手紙にお答えします。 
(1)kurataさんの上手でない絵について
洋画家織田広喜さんの本の中「絵はへたなほうがいい」「うそがあってよい」
これを読んで 私のために言ってくれたような気がして安心して得が描けるようになりました。 自由自在 心のおもむくまま描くのを喜んでおります。

***

kurataさんおたよりありがとうございます。
90才を越えてしまったkurataさん おげんきでしょうか。いろんな作品をいつも写真で見せて頂きましたね。 その飛び方が 私のお姉さんのようで よく似てましたね。 きっと古代の大昔 われわれは こんな一族だったんでしょうか? kurataさんの筆によるおたよりは ながく それを少しずつこのようにして 書き写してみますと 読めない(達筆なので)ところもありますが とても素敵なことが書いてあることに あらためて わかりました 感謝。
毛筆和紙による 先輩は みをぎさん そしてkurata さん。恵まれてますね ありがとうございます。 毛筆も和紙も扱え切れない私なのに おそれいります。 そういえば私の兄も毛筆和紙のできる人。電話しなきゃ。

「kurataさんの上手でない絵」などと私はなんて失礼なことを申し上げたのでしょう。仲良くなってきっと調子にのったのでしょうね ごめんなさい。でも kurataさんは「へたがいい」という織田広喜さんがおっしゃたので「安心して絵が描けるようになった」とおっしゃいました。すごい。私もついでに安心して描かせてくださいね。
ミロの「夢は限りなく人を育てる。見たい夢を見る。目が覚めている時に夢を見る。」おそれ多くもここで私のことを思い出していただきまして 嬉しすぎます。 kurataさん たまにはこのながいおたよりを読ませていただきますね。元気でたなー ほんま。
「うそがあってよい」いいなあ!

つづきは いずれまた ごきげんよう(朝ドラ 思い出しました)


《 2015.07.17 Fri  _  おたより 》