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1ぺーじ

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『印象派時代』福島繁太郎著 光文社 昭和18年の続きです。

ロートレック
石版画

 方法は同じ石版画すなわちリトグラフであるが、ポスターより小形で近距離で見るべきものも多く制作した。()絵が多い。ジュール・ルナールの博物誌の()絵などが有名である。
 単独の石版画としてのアルバムは二組しか制作しなかった。同時代にさかんにリトグラフのアルバムを制作したルドンとは全く異なっている。思うにルドンがリトグラフを純粋芸術と考えたに反し、ロートレックはこれを応用芸術宣伝芸術の方に用い、そして応用芸術宣伝芸術を蔑視せず、純粋芸術と同等に力を入れた為であろう。そこに彼の特徴がある。

画風の変化

 ロートレックの絵画生活はわずか15年、画風の変化はほとんどないといわれている。それは大体のことで細かく見れば相当に変遷はしている。最初の頃の色調も暗く、手法もアカデミックな臭いが強い。一時ごくわずかの期間ながら、戸外の肖像など外光を扱った印象派風なものもあるが、色彩は多く中間色を使用している。1890ねんごろからの本当に彼になりきったといえるものにはもはや印象派の影響は見られない。1891年のア・ラ・ミー、1895年のムウラン・ルージュの連作など有名である。中間色が多く、黒や褐色なども用い原色では黄色を使用しいる。極晩年のボルドウのオペラなどを描いているものになると、色彩は強くなって生の色が増加してくる。「舞台に立つ踊り子」などその代表作であろうが、ドガの踊り子とはまた異なった世界を同じ主題に彼は見出している。
《 2015.07.15 Wed  _  1ぺーじ 》