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おたより

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こどもだったころ

いつごろだったかなあ。父は死に母は私たちと一緒に住んでいて そこには誰も住んでいなかった。となりが本家で 土地は家ごと本家に買ってもらっていた。 
その家が 雨漏りなどで つぶれかけていて これ以上中に入るのは危険だと思ったころかもしれない。長野県でいっしょに住んでいた母のためにも 兵庫の私の実家とお墓へは毎年のように帰っていた。本家の人に言って だれもいない家の中に入ると それはあるじをなくしたさびしい空間そのものだった。ここで父母とともに 4人兄弟が住んだことがあった。やがては取り壊される家。庭や池もある。
そんなとき 私はここでのことを 思い出せる限り書いておこうと思った。そろりそろりと玄関から足をふみいれ ゆっくりゆっくりとね。


ツバメの話

 2階のすぐ下が玄関で、その天上にはツバメの巣があった。毎年5月頃になると どこからかツバメはわが家にやってきた。
 子供の頃からそれを見ていたから 当然のことだった。玄関の下には糞がおちていたし つばめは「こんにちわ」とあの父の手作りの重い戸を開けなくても 戸の上にあるハート型のあなから入ってきて 巣作りをした。
子供というのは 「このつばめはわが家をおぼえていて このつばめの先祖代々 おなじのがここにやって来るのだろうか」なんて疑問は持たなかった。頭のうえにふんがおちてきたこともなかった。「居候さしてもらってるのだから ちょっとは遠慮しなきゃ。きらわれるようなまねはしまい」とかツバメは考えて私の頭にふんを落とさなかったのだろうか そんなことなど考えたこともなかった。

 これはその頃の思い出話なんだけど あるとき 夜私たちが寝ていると 何やら騒がしい。するとつばめが私たちの寝床にやってきてパタパタととぶ。 どうしたんだろうと玄関の所に行ってみると これは大変 長いヘビがひなをねらってやってきている。「大変や お父ちゃん起きて!」大騒ぎになった。私たちはへびを棒でたたいたり ひっぱりおろして外にほうりだすのにやっきになった。へびが長いからだをたらーんと下にたらすと私はきゃあきゃあといった。そしてようやくどうなったのだろう。その記憶がない。ただつばめという少し人間とはかけ離れた生き物がわれわれをたよろうとしたことが 胸を熱くした。私は友だちにも何度も身振り手振りを交えて この時のことを話したに違いない。そして今でもよく覚えている。
 父は 新しいガラスを戸の上にはめこみたかったらしく そのハート型の穴もその結果なくなってしまった。 
 あのとき 父は考えることはなかったのだろうか。「何年も先祖代々やってきたつばめの通り道をふさいでしまうことになる」ことを。 そして私は「それじゃあ つばめがやってこれないやん」などと抗議はしなかったのだろうか。
 私がおぼえていることといえば 父がこのガラスにステンドグラスのようにマジックで色を何色か塗ったことぐらい。私はこれは父らしいやり方だと思った。笑いながら。そしてそんなところが私にもあるなと。
 ここらへんのつばめの巣は玄関口ののきしたにある。 その後 父の手作りの玄関の土間は土ではなく石がはめこまれた。 おそらくツバメの来訪はこの改造計画のじゃまになったのかもしれない。ふんでよごされたくなかったのかも。

「おとうちゃん そーでしょう?」

つばめも父の考えに同意したかのように その後 玄関先は奇麗だったように思う。

つばめが巣を作ると その家は栄えるという。

「おとうちゃん このせいよ」

こうした諺めいたものをあの頃の私は けっこう信じていた。
兄達も私もこの家に帰って住むことはなかった。みんな都会に出てそれぞれ家庭を持った。江戸時代の歴史ドラマをテレビで見ながら 「お家断絶」(こんな字でいいのかなあ)という言葉を人々が発するのを 聞いていると すごいなあと思う。

「いろんなところで 巣をつくって ひろがっていけばいいやん」

いいわけのように もういない親に話しかける

2人の兄も もういない。
みんなこんな話 あっちで聞いてるかなあ
  
《 2015.07.06 Mon  _  エッセー 》