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おたより

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母  1996年

私は ある3年前のあの一瞬をおもいだす。
母は 2、3日の間 ベッドにふせたままで たべものも あまり食べなかった。
私は正直な話老いた母との生活にとても疲れていた。このまま母が旅立ってくれないものかと考えては いやそうではないと思いなおしたりいしていた。
母を待つ 母の親たちや 兄や姉や妹達に「どうか連れに来てやってください」と祈ったりもした。 そんなぎりぎりのところで ふっと思いなおした私は「やっぱり医者に見てもらおう」と医者に往診をたのみ はじめて母のためにおむつを買った。
帰って来て 母の部屋に入り「お母ちゃん おむつしようか」と言うと 母は小さな声で「うん」とうなづいた。
母はその86才までおむつをしたことがなかった。私も小さな赤ん坊のおむつのかえを経験したきりだ。
ぎこちない手つきで母の足を持ち上げようとした途端 母の異常に気づいた。
大きく目を見開き ふーっと息をする。
私はあわてた。家には夫もいたが 呼びに行くひまはないと判断した。私の母が目の前で死をむかえている。私はこの母に言っておかなければならかったことが あるはずだ。そうだ 「ありがとう」だ。それからそれから「安心してよ」だ。「いい所に行ってな」それからそれから。
そんなふうにして 私は母と最後の別れをした。アホな私は人工呼吸もしようとした。
私は母が生きている時 ただただ母のことが好きだった と言いたいところだけど だきしめたいほど小さな母だったと言いたいところだけど そんなことはなかった。

なくなってから しばらくしてから 私は夢を見た。
そこにはふすまがあり そのむこうに 母がちょっとうつむき加減に 立っていた。せながまあるくなって 小さな母だった。私は それからどういうわけか その母をだきしめていた。ただそれだけおぼえている。

母の臨終を知るのは この私だけだ。いまごろ こういうことも 家族に知らせておかなくちゃ と思う。

おたより おまちしてます。というより 毎日お母ちゃんと 話をするよね。思い出話とか 相談事だとか。「がんばりなよ」とその声を聞くだけで まえにすすめるようでね。
母からの悩み事相談はないですね。きっといいところなんでしょう。

《 2015.06.19 Fri  _  エッセー 》