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1ぺーじ

『音楽と文化』河上徹太郎著 創元社発行 昭和13年の続きです。


モツアルト

ウオルフガング・アマデウス・モツアルトは、1756年1月27日にオーストリーザルツブルグに生まれた。とはいえ、彼の父レオポルド・モツアルトはアウグスブルグの出であるから、本来からいえば後年あれほど嫌悪の念を抱いたザルツブルグの土着の人ではなかった訳である。当時のザルツブルグは、他のドイツの小都市と同様に、上は大司教の宮廷を中心として落ちぶれた貴族達が封建的な無気力の生活をしており、大した商工業を持たない市民達は、困窮の中に非文化的な生活を営んでいた。
 モツアルトの父親レオポルドは、一寸才能のある音楽家で、しまいには宮廷音楽隊の副楽長にまでなった人だった。彼には7人の子どもが生まれたが、そのうち5人は早死にし、残ったのはウォルフガングとその姉のマリア・アンナだけであった。この姉はナンネールと呼ばれ、モツアルトが深い愛情を抱いていたことは彼の数多い手紙の中によく現れている。母親のアンナ・マリアについては伝記にあまり詳しいことが残っていないが、要するに普通の善良な忠実な妻であり母親であったらしい。性格としては、至って気のよい、冗談をよく言う婦人で、その点真面目な父親の周囲の空気を和やかにした。レオポルドは音楽教育家としてもかなり才能があり、当然2人の子どもに熱心に音楽を教授した。姉のナンネールも後年クラヴサンを教えて家計を助けるようになった。

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きょうはここまでにしますね。7人のうち5人も死んでしまうなんて むかしは子どもの死亡率高かったんですね。陽気なお母さんと生真面目なお父さん そうですか。モツアルトはお姉さんともとても仲が良かったんですね。
たった2人の姉弟ですものね。ウォルフガング・アマデウス・モツアルト、けっこういっぱいの名前ですね。ピカソはでももっとたくさんでしたよ。名前がそのうちの歴史をになってるぐらいのいきおいですよね。すんでしまったこととはいえ この子供時代から音楽の才能を発揮したモツアルトが、早死にしてしまうなんてね。


さいならさいなら

《 2015.06.18 Thu  _  ちまたの芸術論 》