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1ぺーじ

『ピカソとその周辺』フェルナンド・オリヴィエ著 佐藤義詮訳の続きです。


絵描き驢馬(ろば)ロロ

 「ラパン・ア・ジル」は、芸術家たちが集まる場所だった。夏の夜はテラスに、冬は暗くて煙った室内に。
 そして主人のフレデは、私たちが彼の店に出かけて行くお礼に、よくピカソを訪ねて来たものだ。
 彼が驢馬のロロと連れだって画家の家へやって来た姿が、今でも目に見えるようだ。この驢馬は、ドルジュレスの発案で若い画家たちが悪戯した結果、ボロナリという名前でアンデパンダンの会員になった有名なロロだった。
 フレデは無邪気で律儀なこの動物を、よくピカソの家に連れて来た。アトリエは地階にあったので面倒はなかった。フレデが持参した食前酒を私たちが飲んでいる間に、片隅に繋がれていたロロは、自分の口の届くところにあるものは何でもかまわずむしゃむしゃと食べていた。こうしたある日のこと、長椅子の上に投げ出してあった一箱の煙草と二枚のネッカチーフを食べてしまった。
 ピカソは動物が好きだったので、彼らは彼の前に出るといつも寵愛をかたじけなくしたものだ。 ピカソは鶏と山羊と虎を飼いたいらしかったが、犬と猫とで我慢していた。あとになって、一匹の牝猿がその仲間入りをすることになった。
 一時は猫三匹、犬二匹、亀一匹、牝猿一匹をかったほどではなかったか?
 ところで私は話を先に進めすぎたから、お話の途中だったラヴィニャン街の時代に戻ろう。 私たちはまた、映画スターのモドーもよく見かけた。彼はその頃はまだ別にこれといって芽を出してはいず、当時の最も愉快な人物の一人でしかなかった。
 ごく若いウッテル(16才だったか?)は菜葉服の少年工に過ぎなかった。彼はシュザンヌ・ヴァラドンに励まされ、指導されて、画壇にデビューしたばかりだった。
 彼らは丘の上を感傷的な気持ちで散歩している途中、サクレ・クール寺院の近くの路次の標石の片隅に酔いつぶれて眠っているユトリロに時々出会った。すると、シュザンヌは注意深い母親らしく、彼を家に連れて帰るのだった。シュザンヌ・ヴァラドンはまだコルト街に住んでなくて、ピガール広場の近くのゲルマ袋小路に住んでいたと思う。

***

シュザンヌ・バラドン ユトリロのお母さんですが この文章だけで 彼女は実はめんどうみのいい いい人だったのかもしれないと思わせてくれました。彼女はルノワールやロートレックやドガのモデルをしました。ユトリロは母親が外で働いている間おばあさんとともに過ごさなければならないので寂しい思いをしたのかもしれません。でもあの時代 女にはまだまだ働き口はなかったかもしれませんね。こどもはうまく育ちませんでした。それでも彼女はユトリロを画家にしたわけですよね。アル中でしたが。彼女もモデルをしながら絵を描くようになるでしょう。 夫のいないシュアザンヌは 働いて親や子どもと暮らさなければならなかったでしょうね。みんないろんな運命をたどりますが 生きるのに一生懸命だったのかもしれません。少年工のウッテルはシュザンヌに励まされ画壇にデビューしたんでしたね。シュザンヌは絵を学校で習った訳ではなかったでしょう。モドーにも「できるわよ」とはげましたんでしょうね。指導もしてますね「こうやればいいのよ」ってね。頼りがいがあって 美人 子持ちだけど独身 もてたんですね。
「ラパン・ア・ジル」芸術家達の集まる場所ですが そこの主人のフレデのロロという驢馬の話もおかしいですね。みんながいっぱいやってる間にタバコやネッカチーフをむしゃむしゃ食べてしまったなんてね。おなかをこわさなかったかしら?
ピカソはたしかに動物を いきいきと描いてますね。よく観察してたんですね。牝猿までかっていたんですね。

さいならさいなら
《 2015.06.12 Fri  _  ちまたの芸術論 》