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おちゃより

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ぴーさんからのおたよりの続きです。


6月3日 「ぺらぼんや」

のりこさんのたばこやさんみたいな「ぺらぽんや」
むかし、おじいちゃんとたばこを買いに行ったみたいに、
今度はチトと「ぺら本下さーい」と立ち寄りたいです。
ふろくもワクワクだなあ。

6月7日 「1ぺーじ」

「母のこと考えていたら 子供の頃のあることを思い出した。
いろんな事があって、死にたいとおもうような孤独を感じた。
周りの大人達に傷つけられたのだ。
そして僕もそれに見合うほど、彼らを傷つけていた。
今だからきづくこと。
母は僕以上に傷つき、悲しかったのかもしれない。」

読みながら涙が出ました。
お洗濯の前に涙。

「無化すること」
「幼児や子供達が初めて見るもの、ふれるものに対して、
新鮮な驚きや、興味でもって接するように、
具体的な事物や行為を、
自らの自由な意志と経験でもって、この世界をとらえなおすこと。」

ー無化することー
今のわたしには、まだすこしむつかしいけれど・・・
心をまっしろにしてみて、
あたらしい気持ちで、素直に心おもむくままに
くれよんや絵筆をうごかしてみる感覚かなあ。

日々暮らしているなかで、つまづいたり転んだり迷子になったら、
一度まっしろにしてみたらいいかもしれないかなぁ。
のりこさんはどう思いますか?

6月7日 「おたより」

ショパンの
「しかし弱いけど、まんまるい純粋な音だった。」
「好んで親しい人たちの小さなグループの中で演奏した。」
というところが、わたしもいいなぁと感じました。

NEKO美術館は、
のりこさんの「まんまるい純粋な作品」を
無理なくおだやかに奏でられる場所なのですね。
わたしは、そのまんまるくてあたたかな空間が
心地よくてだいすきです
もじもじしながらでも、あそびに来られる安心な場所です。
いつもありがとうございます。

今朝はチトのキックだかしゃっくりで
朝6時に目が覚めまして、
図書館で借りた「ふきまんぶく」を読みました。
ゴールデンウィークに出かけたちひろ美術館で
「ふきまんぶく」の原画に出会ってから、
ずっと気になっていた田島征三さんの絵本です。
眠る前は、ココ・シャネルさんです(笑)

ではでは
また「おちゃより」させてください。

ピョコーンマン(ぴー)より

***

田島征三さんの「ふきまんぶく」いいですねえ。「やぎのしずか」とともに 好きな絵本です。私が独身の頃 この本は出たと思います。絵がぽってりとしていて 自然にかこまれてね。はたむつのりさんの動物王国もよかったなあ。あの頃の私の絵は自然とむすびついてたりしてね。私の絵は第一次は(戦争みたいだね)田舎での風景や自画像。まじめでした はい。 第二次がどこかお話の世界。そんなときに「ふきまんぶく」「やぎのしずか」畑さんの熊などがとてもよかったんです。

6月3日 「ぺらぽんや」
読んでくださってありがとうございます。夫せいが自分の絵の美術館をつくろうと思い立ったとき 「どんな美術館がいいかなあ」とか「どんな場所が」などと話し合っていたのです。
私は夫せいの美術館のそばに「小さなたばこやさんのような」「ぺらぽんや」を思いつきました。キオスクのよーでもあり そこでじーっとこしかけて なんかしてるという設定でした。私は3日坊主ですから そのうち忘れてしまいましたが 他に「ピサの斜塔みたいな美術館もええなあ」とか。

6月7日 「1ぺーじ」
これは立岡光廣さんの『関係のフラグメント』ですね。
「母のことを考えていたら、子供の頃のあることを思い出した。
いろんな事があって、死にたいとおもうような孤独を感じた。
周りの大人達に傷つけられたのだ
そして僕もそれに見合うほど、彼らを傷つけていた。
今だからきづくこと。
母は僕以上に傷つき、悲しかったのかもしれない。」

この言葉 なんかのときにふらっと出てきますね。あるときは自分が子どもの時のことを思ったとき あるときは人を傷つけ自分も傷つく 全体が見えてきたようなとき。
ぴーさんも泣きましたね。

「無化すること」
ぴーさんのいう「一度まっしろにしてみたらいいかもしれないかなぁ」
これやってみようかなあ。

6月7日 「おたより」
ショパンの「しかし弱いけど、まんまるい純粋な音」どんな音だったんでしょうね。
この音を聴くなら 小さなグループの中ですよね。

ココ・シャネルを好きになった男性が素敵でしたね。あの時代に働くココ・シャネルを応援してくれたんですから。魅力的な女性だったんでしょうね。ぴーさんはどういうところがよかったですか。

おたよりおまちしてますよ。チトちゃんと夫マンさまによろしく





《 2015.06.12 Fri  _  エッセー 》