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なのよ

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1996年頃の話がだんだんと今に移行する話

日記というのは 自分だけの秘密をうちあける場所なんだろうか。
そうだとすると 自分は最近こっそりした場所をもってないなあと思う。
自分は結婚して20年近くになるが 夫といっしょに子どものこと 老父母のことに立ち向わなければならなかった と思っている。
それでもこういうことがなかったら どうだろう。夫婦で喧嘩ばかりしていたかもしれないし そこのところはわからない。
予想もしなかった結婚だったとつくづく思うのだけど。
夫の頭も白髪がふえ 私の顔も のんきなばかりではない 苦労のあとがみえている。
もう私たちは夫が50 わたしが47なのだ。
体力がおちて「おたがいよわったねえ」と笑い合う。
そんないたわりの気持ちを こんな所に書くのもどうかなあと思ったり。
書けそうで書けない 「自粛している岩陰の日記帖」なんてね。 
案外 ポジチヴ思考(なまってる) 「今後の課題」なんてこと書いてたりしてる。「まっぴらごめんだこどもなんて」こと云いたいのに遠慮しちゃって。

いやいやそんなことはやってみたわけで みごとにパンチを食らった。表に出すには それ相当の覚悟がいったのだろう。でも今の私が あんなおそろしく正直な事を書けるだろうか。でも私は長い間かかって まわりにも助けてもらいながら それ以降を 生きてきた。 若いときに覚悟は必要か? パンチを受ける事は必要か?傷つくこどもらを見ることは必要か?そして自分自身が傷つくのも必要か?どうなんですかねえ。

私たち夫婦は離婚歴のある二人の子どもをもつ夫と 初婚のむすびつきだった。
その後3人の子どもが生まれ とりあえず20年間ほどくらしてみた。こんな状況の一家に起こりそうなことは ひととうり経験したはずだ。
こんなこと 「結婚が人生のゴール」とせっせと男を探し歩いてたときには 想像だにしてなかったこと。「結婚その後が大変よ」私は若い子によく云うようになった。

一緒に暮らした親たちも見送り こどもらのことも だいぶ平坦になってきたようで。というか 私たち夫婦は足腰がいたいし ぼーっとするようになったし つまりそんなことに立ち向う元気などなくなってきたのだ。としとることだって 若い時は ありえないことだったんだよね。

2015年 夫は69で私は66。何年一緒に暮らしたんだ?40年近くだって。



《 2015.06.12 Fri  _  エッセー 》