『関係のフラグメントII』
中島らもとチャールズ・ブコウスキー 若しくは、ヘンリー・ミラーの息子達
立岡光廣さん著 続きです。
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僕達は矛盾を生きる勇気よりも、しばしば欺瞞を選んでしまう。誰もがミラーのように生きれないのだ。
それにしても80を過ぎたミラーの文章には、衰えをしらぬ馬力がある。けっしてこんな風には書けないと畏怖すら感じる。この作品には宗教が信じられなく、自分自身を見失いそうになった者に必要なことばでつまっている。気をつけなくてはいけないのは、自分自身を生きれない者に安楽死をすすめる危険な本でもあるということ。ブコウスキーと同質のことばの世界。そういえば中島らもにも、自殺体験がさりげなく書かれていた。死と向き合うことを通して、生きるエネルギーを増幅させるとんでもない野郎達だ。
ミラーは笑いの重要性を常々語っていた。僕はミラーの本を読みながら、中島らもの本のように声を出して笑ったことがない。
ミラーのことばの前では、いつも立ち停まり圧倒されていた。ブコウスキーの言葉には、ディープなブルースを聴いているように、言葉が流れてきた。だから中島らもも、チャールズ・ブコウスキーも、ミラーのとても優秀な息子達。
しかし自分自身を生きるとはどういうことだろう。
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いやあ 自分自身をすでに生きてしまってる私にはそしてきっとみなさんには
「しかし自分自身を生きるとはどういうことだろう。」はむずかしい疑問符ではありませんか? あっそうか ミラーやブコウスキーや中島らもが自分自身を生きてるということなの?
「僕達は矛盾を生きる勇気よりも、しばしば欺瞞を選んでしまう。誰もがミラーのように生きれないのだ。」
ほんに そうだわなあ。私はミラーの絵や言葉を見ただけだから なんともいえないけれども たしかに 「ミラーのような絵描きたい。云ってる事面白い」となるのはなぜでしょう。でもおっかけてみてもすぐ しゅーっと「むり」と思うのは私だけかな。
ゴッホの絵や熊谷守一の絵に引き寄せられて描いてみると なんかとても気持ちよかったけど。ちがうちがう ここはミラーの生き方のことを云ってるのよ。
「僕はミラーの本を読みながら、中島らもの本のように声を出して笑ったことがない。」
なんでやろね。笑いのつぼがちがうんとちゃう?
「死と向き合うことを通して、生きるエネルギーを増幅させるとんでもない野郎達だ。」
ということは これ読むと生きたくなるんや。なんやろね すごい。でも立岡さん 上手いこと云うやん!「みんな簡単に死なんといてや」なんてこというより。
しびれきれたー さいならさいなら