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おたより

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しーちゃんからのおたよりです。2015年


姪から電話で お母さんが大変だというので 私も久しく会ってないので 隠岐に行くことにしました。七類港から出発して 甲板に出て久しぶりに島根半島を眺めることにして少し寒かったけど お客も少なく パタパタとはじめてのお客さんのように あっちに行ったりこっちに行ったり。 
船は汽笛を鳴らし港の中をゆるりゆるり まことに美しい眺めです。

カメラ屋の店員さんが「海が美しいですね」「ここは何処ですか」と聞いたもんだから「島根半島の裏側」「春から夏にかけては本当に美しいよ」「しめっぽくないときは びっくりするほど美しい」「夏になればエメラルドグリーンになるよ」と説明しました。
店員さんが「そんなに行かれるんですか」と云うから 「えーたい」と云ったら 「えーたいって何ですか」と云うから「いつもってことかな」と答えました。
店員さんが海を誉めてくれたので それに海に船影が映って 色もきれいだったのでね。

貴方の母方の祖父は 隠岐丸の船長をしてたんだよ。
この航路と同じでね 昔は 松江から出発して 島根半島をぐるりと廻って隠岐に向かったんだよ。今は2時間半で行くけど その時は1日がかりだったかも。
私たちが高校の時でも 半日がかり。11時間船に乗ってたと妹の旦那が云ってた。

そのころ近所に「中船長」と呼んでた人が住んでいたけど 皆が一目置いて 尊敬していたし 中船長も威厳を持っていたね。
私の父が云ってたんだけど「Kやのじいさん(私の母かたの祖父)は客船の船長免許を持ってた」って。
「Yや(しーちゃん家)のじいさんは貨物乙種の船長免許だったといつもも比べていた」と云ってた。
祖母は「うちの父つあんは 日本ざえもんで日本国中廻っていた。北海道からね。上海の話はよく聞かされた」と云っていた。
話の中には灯台のことがあったり「今はいい時代になって岬岬に提灯をつけてもらって」と。昔は暗闇の中を船は走っていたみたいだし。木造船だったのかな?
タイタニックみたいな鋼鉄船が氷山に当たって沈むんだもの「朝目が覚めたら氷の原になっていたり」「わしもそろそろ船を降りないけんが」とかね。
私たちは大きな話のなかで大きくなったのだね。

***

しーちゃんおたよりありがとうございます。
しーちゃんはHBあたりのエンピツで 掲示板に文字を書くようにして手紙を送ってきす。
今回は写真もいっぱい貼付けてありました。
けっこう読みづらいのですが 手紙からは 私の母が生まれた島根県の美保関の潮風がさーっと吹いてきます。わたしが育った所は兵庫県の山あいの村。まったくちがう景色と空気ですが 母かたの一族はこのようにいつも海と一体化したようなところにいたんですね。
しーちゃんは「わたしたちは大きな話の中で大きくなったのだね」と書いていますが これはどういうことかなあ。でも ひろい海が広がっていきます。
しーちゃんは3姉妹です。その一番下の妹さんが 調子がわるいというので 久しぶりに隠岐に船で行きます。その船の中でしーちゃんは久しぶりに自分のいる島根半島を見るわけです。そばにいたカメラ屋さんにここから見える島根県の美しさを説明しています。
それから 母の姉である しーちゃんの祖母が云ってた 私の母かたの父やしーちゃんの祖父ですか そんな話になります。海は日本中とつながっているのですね 客船の船長をしていた私の祖父のことを想像してみます。いつも船に乗っていて たまに帰って来る父親だったのでしょうね。酒をよく飲み こわいから いやだったと父親の事を云ってましたが。 母親はおおらかで優しい人だったと。 これが母の弟の話では 父親が帰って来るのは楽しみで かい犬が船の所まで泳いで行こうとした などという思い出話を私にしてくれたことがあります。さらに末っ子の母の妹はとても父親にかわいがられたとか。そんな話もほんの少し残っている昔話です。中船長の威厳とはどうつながるのか 客船の船長と貨物船乙種の船長のはなしも ありましたね。 
母からみれば 身近な話ですが 祖父は母が小学生のときに亡くなっていますから 想像してみるにも材料がありません。 母だってほんの少しの思い出話を私にぽつりと話したきりです。このように家族の歴史だって 一世代違えば ほんとに遠い話となる場合があるのですね。でも私は塩味のするじゃこが好きです。これは母からの海の味かなあと思うことがありますね。

手紙はまだつづきますが今日はこのへんで。
おたよりおまちしてます


《 2015.06.03 Wed  _  エッセー 》