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おたより

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しーちゃんからのおたよりの続きです。2015年


手紙も一夜明けるとこんな話になってます。
近頃になって私は母に騙されていたと思う事がいっぱい出てくる。母は騙すつもりはなくグチのはけ口だったかもしれない。
隠岐を後ろに夕日が海面を光らせ隠岐諸島が遠くになり美しく美しく海は輝いていた。
やがて島根半島 実に美しい神々しいほどに厳かで静かな感じがした。神の存在を感じる旅になって妹達夫婦にも久しぶりだった。
妹は思ったほどでもなく 財布が見えなくなって パニックになったみたいで ボケたかと思ったらしい。
「この年になると皆同じだよ。物忘れしたり ここと思い込んだり(置いた所を)物が見えなくなって一日中捜してるときだってあるよ」と慰めて帰ってきました。「あまりあせらないでがんばったほうがいいよ」と。少しほっとして入院中の甥の顔も見て帰った。
行ってやってよかった。
明日は句会 体はクタクタ 何も浮かばず 今夜にできるだろうか 目が開くだろうかと心配しながらやっぱり寝てしまった。
「雨連れて 何処にいたやら 雨蛙」
一つ短冊紙あり 何もかも投げてやけくそになっての句会 さんざんの句会 皆の話もおぼろ 二句取ってもらって 疲れ切って帰ってきました。

***

しーちゃんおたよりの続きですよ。
おたよりは冨士山のついたカレンダーの裏に書いてありますね。ときにメモが貼ってあってね。「そのやりかた おかんのに似てるやん」と息子に言われてしまいました。「この世代はこういうこともやるのだよ」と言っておきましたが。
海と夕日はどうしてあんなに美しいんでしょうね。
この光景の中で「近頃になってわたしは母に騙されていたと思う事がいっぱい出てくる。母は騙すつもりはなくグチの捌け口だったかもしれない。」この脈略のなさそうで でも
フッと出てくるしーちゃんの思いは 小説の一部分のようでっせ。
妹さんの財布が見えなくなってパニックになるようす なんだかわかるような気がするなあ。 この財布という入り口は 我々にとって けっこう烈しいことなのかもしれないね。財布のことで パニックになるパターンは年齢の幅が広いね。わたしの母が「金庫の鍵が見つからない」と言い出したのは 85ぐらいだったかなあ。
妹さんを慰めて帰ってきたんですね。さて次の日は句会。しーちゃんは俳句をやってるんですね。 「雨連れて 何処にいたやら 雨蛙」

おたよりおまちしてます。 続きはまたまたカレンダーの裏に貼ったり HBのえんぴつらしきもので 書いてあります。うまくすくいあげることができるでしょうか。





《 2015.06.08 Mon  _  エッセー 》