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1ぺーじ

『関係のフラグメント||』
中島らもとチャールズ・ブコウスキー
若しくは、ヘンリー・ミラーの息子達 
立岡光廣さんによる


ブコウスキー70才の日記より

 わたしたちは紙切れのように薄っぺらい存在。わたしたちは何割かの確率で訪れる運に頼って一時的に生きてるに過ぎない。このかりそめだという要素こそ、最良の部分でもあり、最悪の部分でもある。そしてこのことに対して、我々は何ら手出しができない。山の頂上に坐って何十年も瞑想に耽ることはできてもそれで何かが変わることにはならない。すべてを受け入れられるように自分を変えることもできるがそれもまた間違ったことなのかも知れない。たぶんわたしたちはあれこれ考えすぎている。もっと考えないようにして、もっと感じるのだ。

 わたしは死に就いて思いを巡らせることが出来る。 略。ずっと背負っている重荷のようなものでいつかはけりをつけなければならない。そしてわたしは神への信仰なしに永眠しようとしている。それはきっといいことだろう。 中川五郎訳

***

 真新しい本のページの上をエンピツでしるされたこれらの文章の断片には、その夜の僕の心の在り様を反映してるかもしれない。しかしこんな文章の前で解説することなど何もない。ただ感応するだけだ。

 薬がきいたのか母の肺炎が少しやわらいだようで、その夜はずっと眠り続けていた。朝わずかではあるが薬を混ぜた流動食を食べられるほどに回復していた。母に食事を食べさせてほどなく、兄の家族と一緒に家内と子供達がやってきた。母の永眠はのばされた。

 昨日、日帰りで母を見舞った。二月になっていた。家内と寒中休みの子供達も一緒に来てくれた。僕は臆病者で怠け者。一人ではいけないのだ。だから家内と子供達に感謝している。帰り道、助手席でいつまでも起きている息子に「遅いから眠れ」というのに「眠くない」といいはり、伊那谷をすぎるあたりまで起きていた。すでに日付けは変わっていた。

 背中から直接臓器に二本のチューブをさしこまれ、注射液が送られ、鼻からもチューブで、鼻腔栄養をほどこされていた。乾いた母の唇に水を含ませてやろうとしたら、目をみひらくだけで、一言もしゃべれなくなっていた母は、首を振って嫌がった。主治医の語る母の病状と治療法を聞きながら、無数のチューブで繋がれた母にとってそれにどんな意味があるのかと心の中で反問していた。
 母は今も死と向き合っているのだろうか?ただ死につつあるのだろうか。それは母自身が経験してることでわかりようがない。いつか僕も確実に経験すること。その時、母のことを思い出したりするのだろうか。

 ミラーの『母』を再読した。内海柳子さんが大町にあるヘンリー・ミラー美術館で個展をされたとき、何か文章を書いてみたいと思ってミラーの本を調べて読んだ、とても印象深い作品。
 (僕は本に依存し過ぎる。気にしない。ブコウスキーのように作家ではなく、職人。読むことが救済になることだってあるのだ。)
 85才のミラーが夢の中の母と和解していた。この地上では不可能なビジョンを語り、ほんのすこし絶望しているようだ。
 『八十路を越えて』ミラー80才の作品は、理想を語らない陽気な老人を装った哲学的アナーキスト。『母』とは矛盾したミラーがいる。

 あらゆる出来事は、もしそれが意味があるとすれば、それは矛盾をふくんでいるからである。       南回帰線より

 ミラーは矛盾を生きることをいとわない。むしろすすんでその中に飛び込んでいく。
                       

「わたしたちは紙切れのように薄っぺらい存在。わたしたちは何割かの確率で訪れる運に頼って一時的にいきてるにすぎない。」
そうなのか・・・。
「死とは ずっと背負ってる重荷のようなものでいつかけりをつけなければならない」
そうですね・・・。
あらゆる出来事は、もしそれが意味があるとしたら、それは矛盾をふくんでいるからである。
矛盾 それ意味があるんだ。

今日はあつーい!

さいならさいなら


《 2015.05.29 Fri  _  ちまたの芸術論 》