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1ぺーじ

『関係のフラグメント||』
中島らもとチャールズ・ブコウスキー
若しくは、ヘンリー・ミラーの息子達  立岡さんによる


読書と音楽は、無知で卑小な僕を未知の世界と、(生)ある人々の歴史に旅するように連れ出してくれる。時には宇宙まで。それらの多くの経験の中で、事件のようにぬきさしならないとんでもない本がある。昨年の暮れから読み出したチャールズ・ブコウスキーはまさにそのような本だった。
「あァーやっぱりこんな作家がいたのだ」と感嘆とさせられた。マーラーやモーツアルトが好きなくせに、ブルースのような小説を書き、ロックミュージシャンに影響を与えた男。正直さと自己肯定、その為に五十で作家になりおうせたのに、書き続けるか死ぬかを決断しなければならなかった男の言葉の世界。
 ミラーの分身が蘇ったような気がした。ミラーがあの膨大な著書をして成し得なかったあるものを手に入れていた。

 単純で平明な文章と態度によって。

 冬休みの終わりかけのある日、子供達を連れてスキーに言ったその夜、兄から母のキトクを知らせる電話があった。兄の電話の前に、注文していたブコウスキーの『死をポケットに入れて』が届いたという電話を受けていたので、インターの手前にある十二時まで営業している複合書店で本を受け取り深夜の高速道路で大阪へ車を走らせた。
 母は肺炎にかかり、もともと悪かった心臓が肥大し腎臓の機能が低下し、ベッドであえいでいた。
次の夜、「私が残ろうか」とたずねる家内と子供達を兄の家に送り、病院に戻った。その夜は僕と母の生と死の解放と独立の日になるはずだった。病室と待合室の間を何回も往復しながら、死を待ちわびているような堪えがたい無為な時間を、ひたすらブコウスキーの本を読んでいた。
 ことばが沁みるように頭の中をかけめぐり、文章の向こうにある書き手の気分までも伝わってきた。

 昼、競馬場で頭をからっぽにし、相も変わらず飲んだくれながら、真夜中、パソコンの画面に向かい、死と人生に向き合うブコウスキー70才の日記のように書かれたことばのフラグメント(断片)。

 わたしは自分が望むやり方でことばを書き留めたかった、ただそれだけのことだ。それにわたしはことばを書き留めなければならなかった。さもなければ死よりもっとたちの悪いものに打ち負かされてしまうのだ。言葉は貴重なものではないが、必要な物だ。

 書くことの目的はまず第一に、愚かな自分自身の救済だ。それさえできれば書かれたものは自ずとおもしろく、読み手の心を捉えるものとなる。

 人と群れずにずっと一人でいようとするだけの賢明さはいつも持ち合わせていた。

 作家は年を取るほどに、よりよい物を書かなければならない。より多くを見てよりいろんなことを耐え忍び、より多くのものを失い、より死に近づいているのだから、死に近づくというのは最大の強みとなる。

 完璧な時間を手に入れるためには不十分な時間を過ごさなければならない。
 競馬場に行けばそこには何かがあってということは、そこにいれば死ぬことを考えずにすみ・・・

自殺することがわたしの頭の中をよぎらないということは決してない。自殺。ちょうど明かりが明滅するように。暗闇の中で正気を保たせてくれるための逃げ道がひとつあるというわけだ。さもなければ狂気に覆い尽くされてしまう。

 哲学者たちにとっていちばん大切な問題は、自分たちの言葉に人間性を与え、より理解しやすくしなければならないということだ。

***

立岡さんは ブコウスキーの『死をポケットに入れて』を死をすぐ前にしているお母さんの入院先で読んでいたんですね。
マーラーやモーツアルトが好きなくせに、ブルースのような小説を書き、ロックミュージシャンに影響を与えた男。正直さと自己肯定、そのために五十で作家になりおうせたのに、書き続けるか死ぬかを決断しなければならなかった男の言葉の世界ーーどんな男なんや と次に読み進んでいくと 出てきましたねえ。


完璧な時間を手に入れるためには不十分な時間を過ごさなければならない。 こんな言葉にひっかかりつつも(どういう意味なのかしら?) 死という言葉や競馬場という言葉に安らぎをおぼえるのはどうしてだろう。 
立岡さんは死というもののそばで まるでその位置と同じ位置にあるようなブコウスキーの言葉に その時より感じてるわけなのかしら。
本は その時の読者が その本の薄暗さと同じ暗さをを共有したとき 忘れられないものになる そんな気がしました。

この続きはまた さいならさいなら


《 2015.05.17 Sun  _  ちまたの芸術論 》