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1ぺーじ

 『印象派時代』福島繁太郎著 昭和18年発行野続きです。
ドガでっせ。ドガについてこんなにいろんなこと知るようになるなんて だんだん深みにはまってきました。さあいきましょう。


 ドガがオペラに通ったのはそのバレー(舞踏)を好んだからであった。若い時には舞踏劇「泉」のノメダ姫(1868年作、ニューヨークメトロポリタン美術館)の如きロマンチックの香りの強い舞()面を扱ったものもあるが、後に於いては踊り子自体を描いたものが多い。この踊り子のセリーは1872年頃から始まり終生続いた。おそらくドガの天分はこの舞踏のセリーにおいてもっともよく現れているであろう。ドガのごとく舞踏を観察することに熱中し、これを巧みに表現した画家は古今にない。彼はまさに舞踏の画家として古今独歩の名をほしいままにするものである。
 オペラのバレーは洗練をきわめた動作の芸術である。敏活なる動作に関心し、すべて洗練され追求されたるものを愛好する都会人であるドガが、「ミューズは出会えば踊る」と云ってバレーを絶賛したのは頷かれることである。
 しかしながら冷徹すぎる知性をもったドガは、この深く愛好する舞踏においてすら、踊り子は単なる舞踏する生物としかみなかった。
 舞踏に於いて現れるあらゆる動作と姿態を冷静に観察し、その真実なる絶対のフォルムを追求した。それ以上踊り子を美化し、妖精化し、鑑賞者を陶酔境に誘い込むようなことはしなかった。だが「ドガは、嫌悪の情をもって踊り子を描いた」と評したユィスマンは明らかに誇張に過ぎている。ドガはただ冷然として観察しているのみである。「欠伸している洗濯女」等に現れている諸謂眼の覚めるような皮肉さへも踊り子のセリーには影を潜めて現れない。指揮棒をもつ厳粛な教師のもとに営々辛苦、精進する踊り子達を、むしろ親しみを持って眺めている。稽古場に訪ねてきた野暮な身なりの母親が、稽古の合間に踊り子と並んで、腰掛けに腰掛けているいうような人情の場面も扱っており、ドガでありながらまれに暖かい人間味を示す性格を物語っている。
 デッサンはドガにとって一生の一大事であった。ドガの生涯はデッサンに明け、デッサンに暮れたといっていいほど彼はこれに執着した。
 ボォル・ヴァレリーが、ある時デッサンについてドガがどう考えているかと思って質問したときに、ドガの答えは Le  Dessin  n'est  pas  la  form ,  il  est  la  maniere  de  la voir
la  form" という有名な言葉であった。
 ヴァレリーが「わからない」といって酷くドガに叱られたという言葉であるから、外国人である私はとんだ誤解をしているかもしれないが、私は「デッサンは物の形態を視る様式である」と解しているが、はたしてどうだろう?
 もののありのままの形態を模写すること、例えば博物の標本()のごときものは、それが正確になればなるほど、何人が描いても同じようになって、()に芸術性を認めがたい。このもののありのままの形態を写すことに対立するものをデッサンとドガは呼んでいるのだと思う。画家があるものに美感を感じてその形態を描写する時は、画家が芸術家である以上、気質や知識や意欲によって必ずその癖が出てくるが、これが物の見方に個性的な様式を生むことになる。この個性的な様式の見方を持った描写をデッサンと呼んでいるのである。
 或る英国人が、デッサンとは画家の気質に投げたものの映像である、と云ったのと同意義のことを述べているのではあるまいか。

***

デッサン、それはどういうものなのか。
一生の一大事であったドガのデッサン。
「このもののありのままの形態を写すことに対立するものを デッサンとドガはよんでいる」そうなんですか?ありのままの形態を写すことじゃないの?私はもうこここでわからなくなりました。スケッチとデッサンのちがいは スケッチがちょっと遠足風で デッサンはアカデミック そんなふうにも思っていましたから。「個性的な様式の見方を持った描写をデッサンと呼んでいる」 個性的な様式?これもうまくわかりません(変な日本語ですみません)。
「デッサンとは画家の気質に投げたものの映像である」
私はデッサンは個性を出そうとするより しっかり視て客観的に描く そんな風に思っていました。画学生がデッサンデッサンというのをきいて「それ退屈じゃない?」などと言っていました。
ドガはまだ続きますよ。
確かに絵のことをまるっきりわかっとらんとです はい。
()は読めんとです

さいならさいなら
《 2015.05.13 Wed  _  ちまたの芸術論 》