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おたより

Fさんからのおたよりです。2015年です。
「河上徹太郎さんのショパン」について「1ぺーじ」できのうからアップしていますが そこから話は進みました。

 「ピアノに向かうショパンは何時も即興的な態度であったといわれている。しかし、楽想を絶えず探し求めてはこれをだんだんと考え出し発見してゆく、という態度を示しているのである。しかも演奏しながらそういう風にためらったり、驚いたり、興奮したりするのには、曲がしだいに形成されて行く途上になくてはならない訳で、曲があらかじめまったく完全に、正確に、客観的なものとして出来上がっていたのでははならないのである。私はショパンが、その最も精妙なある種の曲に即興曲と言う名称を与えているのを、そういう意味で解釈している。といって何もそれらの曲をショパンが字義通りに即興したというのではないが、燃し演奏にあたってこれを即興風に、すなわち、緩慢にとまではいかずとも、不確かな手附で持ってやることは必要である。なにはともあれ、速いテンポに伴いがちな、いい気持ちの弾き方はさけねばばならぬ。それは発見しながらする散歩である。演奏者が弾くものをあらかじめ知っているとか、また、曲が既に出来上がっているとかいうことを、聴き手にあんまり考えさせるようではいけない。楽節が次々に演奏者の指の先から生まれてゆき、それが彼の中から抜け出て、彼自身を驚異の念で満たし、次に聴き手をおもむろに捕らえてこれを興奮に誘いゆくのでなくてはならぬ。」
 「ショパンの曲は一音一音たどりながらこれを噛みしめて演奏するに適してる。一音一音が自分が発見した音だからである。こういう驚異に満ちた音楽は、まったくバッハをよけて他にない。しかもこの種の鑑賞に耐え得ねば、真の天才的な音楽ということはできない。この「即興性」こそショパンが西洋音楽史を通じての大作家であったことのあかしである。

***

Fさん きのうのつづきですね。
ショパンの話を通して 「すごい芸術や音楽ってこうなんやなあ」と感心しているところです。この河上さんの言われたことをそのまま なんども 復習しながら。いえね、このショパンさんと肩を並べようというんじゃないですが 魅力的なこと教えてもらいましたよね。 今日はここでおしまい。続きはまたね。
ローズマリー・ブラウンの本 霊界でのショパンの記述はこれもけっこう興味深いですよ。こういう話は Fさんは興味ないですか?でも私はこの本をけっこう楽しんで読んでいます。信じるとか信じないとかはあんまり考えないようにするというのが私流です。
でも、今日はこれでおしまい。これからお客さんがみえるのです。

さいならさいなら 
《 2015.05.13 Wed  _  ちまたの芸術論 》