河上徹太郎さんの「ショパン」読んで感想をくださった方がいらしゃいます。
ありがとうございます。パソコン打つのが 人差し指のダンス故 大変だったんですが
うれしいです。 ところがこの方は さらにたくさん打つことが出来る 名人のようです。
だから 少しずつ 打ってみますね。さあいきますよ。
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今、まじめに読みました。私はクラシックを時々聞きますが、クラシックだけをのめって聞いたことはありません。小さい頃から私の家は演歌、歌謡曲しか流れてはいませんでした。
きっと私は中学の頃「マジメ」な生徒だったので、音楽の時間に「さあ、これからクラシックの素晴らしい曲を聞かせます。静かに聞いてください」など言われると、「芸術だから理解して感動しなければ」なんて感じになって、ちっとも感動しないのでクラシックを聞かなくなりました。
中学3年のとき「危ない音楽」という帯がついたジャックスという日本のロックバンドを聞いてから、むさぼるように洋楽のロックを聴くようになり、高校時代はロックと現代詩が自分を支えてくれるものとしてあったという感じでした。すがりつくように音楽を聞いたし、現代詩も読んだ。(あ、そうか、クラシックと縁があったとすれば、高校時代にハモニカバンドに入っていて、そこでベートーベンやバッハ、ヴィヴアルディなど演奏してたな。楽しかったけれど、でも今聴くほどには楽しんでなかったと思います。)その後も音楽はずっと聴いていました。ロックばかりから、日本のシンガーソングライターの歌、ジャズ、ブラジルの音楽、南米の音楽、民族音楽、津軽の民謡などだんだん広がって、ある時、流れているクラシックの音楽が
「あ、これいいじゃん、なんだクラシックと思うと堅苦しく聴かなきゃいけないんだと思ってたんだな。クラシックって昔のポピュラー音楽みたいなもんじゃん」と思って、抵抗がなくなったのです。今ではたまにクラシックのコンサートに行きます。(ただ思うのは、なぜ観客は狭い椅子にきちんと座って聴いているんだろうということです。少なくとも私は、ステキな音はなるべく体を開いて音楽に合わせて体を揺らしたりして聴きたいのです。その方が音が入ってくるので、そうしないと勿体ないと思ってしまう)。
どこまで理解できてるのか、わかりませんし、クラシックの知識はありません。
でも、河上徹太郎さんの文章もアンドレ・ジイドのも面白かったです。
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おたよりありがとうございます。
河上徹太郎さんは 昭和13年に 刺激的なことを言ってくれましたよねえ。もう亡くなってるんでしょうが この古びた小さな本は(セピア色どころか茶色に近づいていますよ) 昔の時代の人にも こんなふうに 言っちゃう人がいることが うれしくもありました。
Fさんの中学時代 高校時代のロックとの出会い 「危ない音楽」という帯がついてたりして。 それでなくてもあの年頃は危ないですから(笑)青春ですね。
現代詩はどなたのを 読んでいたのですか?
一通り いろんな音楽を聴いてみて「クラシックって昔のポピュラー音楽みたいなもんじゃん」となったわけですね。なるほど。
さあ、次回は「ショパン」について Fさんのおたよりは続きます。お楽しみに
さいならさいなら