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1ぺーじ

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『ピカソとその周辺』フエルナンド・オリヴィエ著 佐藤義詮訳の続きです。
この絵はマックス・ジャコブが描いたアポリネールですね。この本にはこのような当時の仲間の絵がこうして残されていて それぞれにその人を直に見たという感じがよく出ていますね。


ギョームの家

 ギョーム・アポリネールは、それまで一緒に住んでいたヴェジネーの立派な別荘に母を残して、アンネル街に引っ越して来た。彼もやはり週に一回、たしか水曜日を面会日にしていた。
 マックスの家とギョームの家とは、またなんという相違だったろう!後者は明るく、清潔で、幾分洒落てはいたが、凝ったところはなく、中産階級的だが、あっさりとして、清々しい住居だった。規則正しく排列や(順序を決めて並べること)整理がされており、多少きどったところがあって、注意も行き届いていたが、何時も電灯はつけっ放しで、昼も夜も、実に明るい家だった。サロンはやって来るお客の割に狭過ぎたので、人々はそれに続く一室に逃げ込んで息をつくことにしていた。その部屋に腰をおちつけるにしても、何一つ動かさないように気をつけねばならなかった。そんなことをすれば、ギョームの機嫌を損じたから。
 特に寝台には一指も染めてはならなかった。ちょっとした皺を見つけても、ちょっとしたくぼみでもできていようものなら、彼は眉をしかめていらいらした様子をするのだった。私は彼の恋人と親しくしていたが、彼女の話では、二人の睦言(むつごと)も安楽椅子の上だけで交されたということだった。彼の寝台は神聖侵すべからざるものだった!
彼の休息時間のために手を触れずにおかねばならなかった。その次の部屋は簡単な外套置き場になっていたが、そこには何一つ持ち込んではならなかった。万一私たちの中の誰かが無遠慮に寝台に腰掛けようとしようものなら、それこそ一騒動だった。彼の恋人でさえもそんな権利は持っていなかったのだ。
 大勢の人が彼の家におしかけてきた。ギョーム・アポリネールは、ある人たちには愛想のよいあっさりとした態度で、またある人たちにはいくらか誇張した気さくさで対応していた。
 お茶がいかにも惜しそうに注がれた。彼はとても子供っぽく、無意識にけちけちしていたので、人々の笑い草になっていた。
 友人のある者は、この欠点を面白がっていた。特にクレムニックのごときは、戸棚や食器棚をひっかきまわして、食べられるものは洗いざらい掻払った。アポリネールは跳びだして来て腹を立て、自分の所有物だという感情を露骨にむき出しにして、できるだけのものを取りかえそうとした。彼のエゴイズムは、何時も感情的にであって決して物質的にではないのだが、すぐに憐れを催す感じよい心とは、うまくそりが合わなかった。しばしば涙まで浮かべるほど優しい心とは・・・。借金の申し出に対して彼が快い返事をしたのを、私はついど一度も見たことがない。私は、彼が援助してやった友人などはほとんど知らないが、それにひきかえ、マックス・ジャコブに助けを求めて無駄だったためしはなく、彼は自分の持っているものを何でもくれてやった。
 ピカソに対しては機嫌とりと自尊心から、アポリネールは時々融通したものだ。
 アポリネールはアンネル街をさってオートゥイユのグロス街に引っ越してからも、水曜日の接待は続けた。
 ピカソの面会日を決めていなかった。制作時間以外には、彼の家はいつでもみんなに開放されていた。その食卓も同様だった。手元にあるだけのお金で、もっとも大抵は極くわずかしかなかったが、出来るだけの支度はしたものだった。彼は多分人が思うほどにはそれを好んではいなかったが、引きずり込まれていたのだ。
 ある夕方のこと、アポリネールの接待会がすんでから、私たちだけグロス街で夕食をするために残っていた。彼の恋人は、彼と一緒に相変わらずの献立の料理に取りかかっていた。何時も前菜とご飯と牛肉の蒸し焼きだった。
 食卓の用意ができ、前菜が卓上に並ぶと、ギョームが恋人と口論を始め、彼女が隣室に出て行ってまで続けられるようなはめになった。
 クレムニックは、お腹がすいて待ちきれなかったので、卓上からソーセージを一本つまみ上げて食べてしまった。
 ところがアポリネールは憤然として顔を赤らめ、髪を乱して引き返して来ると、最初の一瞥を卓上になげ、またせかせかした息の下からこう叫んだ。
 「ソーセージを食っちまいやがったな」
 その言葉に、みんながどっと吹き出したのを、ご想像ください。

***

アポリネールのことが書いてあるんですね。
アポリネールは部屋をきれいにしていた。彼はちょっと 神経質だったわけなんだけど そのエピソードは そこにいた人にしかわからないようなことで 面白い。
マックス・ジャコブの描いたアポリネール そういう所がよく出ていますね。
まあ、やって来る芸術家達はみんな粗野で アポリネールでなくても ちょっと嫌だったかもね(笑)。それなのに水曜日の接待。やめればいいのにね。ピカソは面会日を決めていなかった。制作時間以外は彼の家はみんなに開放されていた。でもこれは育ってきた環境や性格にもよりますよね。 ピカソのように(多分)いいたいことや 言い過ぎや そういうことになれている人物は いろんな仲間がわいわいやっても 多少のことには驚かなかったんだと思います。そのかわり睡眠の邪魔をしたり 制作の邪魔をしたりされるとピカソは容赦なく怒ったと言いますから。
マックス・ジャコブ アポリネールとはちがっていたというわけですね。マックス・ジャコブのほうがめずらしいんじゃないかな なんて。 だってみんなぺーぺーで お金持ちには よってたかっておしよせた。上品な食事風景などなかったような気がするな。ピカソなんかはそのぺーぺーの時があったから アポリネールのようにはならなかったんちゃうかな。
ところでマリー・ローランサンの恋人はアポリネールでしたっけ?マリーローランサンはのちにドイツ人の貴族かなにかといっしょになりましたよね。 あのアポリネール? ちょっと オリヴィエ 容赦ないわねえ アポリネールには!

「ソーセージを食っちまいやがったな!」なんかアポリネールがかわいそうになってきたわ。

さいならさいなら

《 2015.05.12 Tue  _  ちまたの芸術論 》