who am ?I

PAGE TOP

  • 05
  • 16

おたより

Fさんからのおたよりです。「1ぺーじ」でドガの話が出てきますがそれについて いただきました。


 
 絵についての論をほとんど読んだことのない私であります。でも、このドガのデッサンの話、ふ〜む面白いな。
面白くなったのは、まず福島繁太郎が自分の頭を整理するために、「このもののありのままの形態を写すことに対立するものを デッサンとドガはよんでいる」と結論づけてたからだ。それも始めは「外国人である私はとんだ誤解をしているかもしれないが」と遠慮しつつ、でも結局自分の論を展開し、最後には「或る英国人が、デッサンとは画家に気質に投げたものの映像である」と言ってるぞ、やっぱり私の論でいいのだ。英国人もこんなにかっこいい言葉で私と同義のことを言っているじゃないかと、更に読者にねじ込んでいる。この論法は私もやりそうだなあ(でも私はカッコイイ言葉をなるべく排除したいと思う性分でもあるんです)。
 そして優等生であることに興味のない、このホームページの主、原始人オバサン(オネエサン?)は、普段着のままの頭で、「だって普通、デッサンってそんな意味じゃないじゃん。わたしゃわからない」と、福島氏のいうことを素直に認めないから、ややこしくなり、さらに面白くなっている。
ここで思い当たるのは、原始人は、面白いことを言うということです。

※有名な「辞書・大日本コージエン」によれば
「原始人」とは実感でものを言ったり判断したりする人のこと。そういう人はへりくつでごまかされにくいので、「教育」するのが難しい。優等生にはなりえない。
さらに「優等生」を上記辞書でひいてみると以下のごとく。
優等生とは自分より権威のある教師のような人の言うことを鵜呑みにし、そのため、その教師の出す試験にいい点数をとる人のこと。太平洋戦争の時、「お国のために頑張って」などと言わず、出征する息子に「死ぬな!帰ってこい」と言ったのはたいてい原始人である。
ちなみに、優等生はかように権威に敏感である。だから頭の中身はカセットテープのように入れ替えが出来る。権威の相手が変われば、頭の中身を交換しなければならないからである。

 ふ〜ん・・・。

***

Fさんおたより ありがとうございます。
原始人というにはちょっと自信のない人種でありますが、まあそういうことにして 福島繁太郎の論は あれは屁理屈なの? 難しい論だとは思いました。そういう歯が立たないことを 考えると 頭が鍛えられて 脳内革命が起こり 活性化するんじゃないかと 期待しております。このFさんの「心理解明会」も興味深いです はい。
昔と言ってよいようなこうした福島さんのようなまじめな論は そのまじめさにおいて感心します。まだまだ続きますから そのときは 手応えのある論を展開して下さいね。

「大日本コージエン」という辞書 なんかあやしいですね。高田渡やFさんが作詞作曲しそうな内容で。 私のお母ちゃんはお父ちゃんに「野蛮人」と呼ばれていました。パーマをかけると ちりちりもいいとこで それが野蛮人だというわけです。もう人種差別ですよね。
その娘が原始人だとすると まあ ころあいではあるんでしょうが そのお母ちゃんがとても疑り深い人で、じっと見て「だまされるなよ」などと私に教え込んでいました。何も教え込まなくても もう遺伝子に組み込まれてますよ わかるんです(笑)。
優等生 なりたいですが カセットテープの頭脳はいやですねえ いや 入れ替えがきくとなると それもいいかな やばいんですよ この頭脳!

おたより おまちしてます

《 2015.05.16 Sat  _  ちまたの芸術論 》