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よこ57Xたて42.5の紙面に 立岡作

これは かって芸術についていろんなことをしゃべってくれた 立岡さんと言う方がくださった『1920年代の宇宙の微風に関する断片』という文章です。この人は 「それほど行ってないよ」と言いますが いろんな芸術家の作品や舞踏 を直に見てきた人で 
朝ドラの「まれ」にでてくる「たなかみん」の姿もかって見たことがあるらしく そのときは えらい感動したそうです。いろんな人のこといっぱい語ってくれたのに 出てこない!残念です それでもこの人はふらっと現れては夫や私と三人で熱っぽくかたるはめになる人です。「う・・・ん」と顔とからだを縮めたあと 考えたことをひねりだすので そこがとても絵になる人です。さあいってみましょうか。


1920年代の宇宙の微風に関する断片(半分)

 まるで子宮のただ中を浮遊しているような、とりとめもなくゆったりとした、何ともいいがたい時間の流れの中で漂い続ける風影と、饒舌なようで寡黙な人物達の織りなすノスタルジーと、カタルシスに満ちた一連のタルコフスキーの映像が、ひとつの原初的なイメージだとすれば、あのキューブリックの「2001年宇宙の旅」は、もうほとんど理屈抜きにそのすべてが好きだ。 素晴らしい人々の生きざまや、自然そのものとしかいいようのない風影(ふうけい)に出逢うとき、また科学によって証明されつくした、単純で美しくすらあると思える諸々の現象と事実を知るとき、あるいは音楽が空気のように生活の中で流れているとき、フッと自分の存在がなくなり、世界そのものの中に同化してしまったと感じられる幸せな一瞬を経験することがある。 そうしてこの一瞬の幸せな感情のためにのみ、今を生きているのだという錯覚すら憶えることがあるのだ。 世界と人間の本質をまるで最高の推理小説を読んでいるような興奮を感じながら、信じがたいほどどこまでも深く沈澱していった吉本隆明氏の世界。 自分自身を生きることを、あきれるほどの感動をもって書きなぐってしまったヘンリーミラー。 創造者として生きることの素晴らしさを身をもって体験し尽くした瑛九。 存在のもどかしさを、ことばに置き換えることを教えてくれたアンリー・ミショー、寺山修司。 音楽が日常の中で空気のように存在し、その音楽によって、自由に空間を飛躍することを聴かせてくれたエリック・ドルフィ、バッハ、服部利一バンド、そして私の好きなすべての音楽/存在そのものとしかいいようのないセザンヌの完璧な絵画たち。 たった一枚の絵の中に宇宙の生成を造型させて見せたパウル・クレー。

***

これでやっと半分かな。
この人がそれぞれの芸術家をどんなふうに感じていたのか もういちど見てみたいと思いました。「見る側の芸術論」ー見る人がいてのあの世界です。この世界に興味が出てきたのは この立岡さんやみをぎさんやぴーさんのおかげですが それは幅があり奥行きがあって 興味深いものです。我々は作品を通してどういうことを思うのか これを含めて「作品」ではないでしょうか。

「タルコフスキーの映像 まるで子宮の中を浮遊しているような とりとめもなくゆったりとした、何ともいいがたい時間の流れの中で漂い続ける風影(ふうけい)と饒舌なようで寡黙な、寡黙なようで饒舌な人物達の織りなすノスタルジーと、カタルシスに満ちた 」「一つの原初的イメージ」
ここのところは 正直な話 わからんのですが 「ノスタルジーやカタルシス 子宮の中の浮遊」「原初的イメージ」ということばで 「漂うミロ」 ぐらいで私はストップ。

キューブリックの「2001年宇宙の旅」 ほとんど理屈ぬきにすべてが好きだ。
そうですね。立岡さんはそれ。夫は「ブオーっ!」とあの宇宙船を表現。必ず。 私は「布時代」で大きな宇宙船に光として 窓として ボタンを いっぱい縫い付けました。あの縫うエネルギーは何処から来たんやろ。 手作り宇宙船やたらと大きかったなあ。 今?私の宇宙船はイメージとして「いろんなこびと」。 「こびと図鑑」が面白かったせいかなあ。 グレイだけじゃなくて 「カクレももじり」その他おおぜいが いっしょに宇宙船から現れるみたいな。
宇宙船からおりて来るのを 見守る人類の前に ファッションショーのようにおりてくる
ホトけアカバネたち。 しらーっとしたら これも面白いし。 野原にさーっとかくれるこびと達。はっ!迷い込んでしもたー。あの「2001年宇宙の旅」ー2001年はとっくに過ぎてしまいましたね。

「科学によって証明されつくした、単純で美しくすらあると思える諸々の現象と事実を知るとき、あるいは音楽が空気のように生活の中で流れているとき」「フッと自分の存在がなくなり、世界そのものの中に同化してしまう」こういうときはあるような気もするけど このようにことばでみると新鮮です。

「吉本隆明 まるで最高の推理小説を読んでいるような興奮を感じながら、信じがたいほどどこまでも深く沈澱していった」吉本さんこんなこといわれたら喜ぶやろな。

「ヘンリー・ミラー 自分自身を生きることを、あきれるほどの感動をもって書きなぐってしまった」
立岡さんは「書きなぐる」と言ったけど 私はヘンリー美術館でなにに感動したんだっけ?  ヘンリー・ミラーの絵を見るたび 自分も描きたくなったな。 ヘンリーミラーについて書いてあるところは熱心に読んだんだけど。もう一回読んでみよう。

「エリック・ドルフィ、バッハ、服部利一バンド その音楽によって、自由に空間を飛躍することを聴かせてくれた」
私が名前を知ってるのはバッハ。だけど立岡さんは他の二人も同列に並べているところがなんかいいわ。自由に空間を飛躍できたんや。飛躍するのは聴くがわの立岡さんやから。

「瑛九 創造者として生きることの素晴らしさを身をもって体験しつくした」

「アンリ・ミショー、寺山修司 存在のもどかしさを、ことばに置き換えることを教えてくれた」そうなんだ。存在のもどかしさをことばに置き換える か。

「セザンヌ 存在そのものとしかいいようのない」「完璧な絵画達」ええ そうなん?立岡さんはセザンヌのこと熱っぽく語ってたもんなあ。「あの画家ははじめはわからんのよね そのよさが」「このぐらいになるとやっとすごいなあと」「あのいっぱいのりんごとあの作家との関係は?」「なんでセザンヌは町の人に石をなげられたりして あんなひどいめにあわなならんかったんやろ」「次の時代を表現してしまった画家はやられるんよ」
などと 3人でね。

「パウル・クレー たった一枚の絵の中に宇宙の生成を造型させて見せた」

立岡さんは生きている日々にこんなにその出会いを表現してみせたんですね。つづきをお楽しみに

さいならさいなら








  
     

《 2015.04.25 Sat  _   》