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『印象派時代』福島繁太郎著の続きです。


 ドガはてんで風景画を好まなかった。外光にも興味を持たなかった。外光で描いた絵は彼にはない様である。彼は常にアトリエ内の光で描いた。これは全く印象派と趣を異にするものである。印象派と共通な点を強いて求めれば、身辺に近い事実の中にモチィフを求めるところにあるが、これもこの時代の芸術一般の風潮であって、あながち印象派の影響と見ることはできない。彼はマネーの伝統を継いで更に現実的に、しかもいそう厳粛に歩みを進めたリアリストであった。
 しかしドガは卓抜なる画家というより、むしろ偉大なる素描家であった。人間の動作を最も鋭敏に、残酷なほど冷静に観察し、これに徹底的に執着するデッサンの並びなき名手であった。
 「線を引け。対照を凝視して線を引け。また記憶によっても線を引け」という言葉を若い時にアングルより親しく聞いたドガは、深く感銘してこの教訓を生涯の金科玉條とした。ドガはデッサンに魅せられ、その生涯を之に捧げた人であるだけに、彼ほど自由に、力強く、線を駆使し得る境地に到達した作家は少ない。とはいえ、ドガの筆は決して興に乗って走り出すことはなかった。即興的に迅速に、直ちに、画布に作画することは、ドガの極度に恐れた所である。その作画態度について、即興的な印象派とはここに根本的な相違がある。ドガの線は常に意志によって支配され、しかも彼自身には常に不満足であって、際限もなくやり直し、追求し、深めて行き、包圍していった。彼は真実の裡(そのような状態)に古典の端正を、簡潔を、品位を求めてやまなかったのである。


***

なんか演説を聞いているみたいです。
ドガはアングルの教えを守り、デッサンに魅せられた画家となっていますね。
私がドガについて覚えていることは バレリーナを写真でばしゃっと撮ったようにその一瞬をとらえて描いている画家のイメージです。 この時代 写真が人々の間にも出回るようになって でもまだまだカメラは偉大といった時代 というような。

ドガの踊り子の絵はまさにこうした言葉を絵にした感じです。そして画面はとても緊張感と美しさがマッチしているのです。

上の絵は「これドガ?」と思いますがたしかにドガと書いてあります。
見たことのないそれも白黒の絵の写真 けっこういいですよね。

アングルは「線を引け。対照を凝視して線を引け。また記憶に寄っても線を引け」だったんですね。これを続けると「線を駆使し得る人」になるんですね。 ドガの絵をいいなあと思うのですが こういうことを考えながら 見てみますね。 確かに確かなすぐれた線は それに絵の具を乗せるにしても土台ですよね。 私は線はデッサン、色塗りは色塗りというふうに別のことのように考えていたりして。

「筆が興にのって走り出す」この言葉「走り出したりする私」にはよくわかります。
絵は情熱だけでつっ走っても いかんのでしょうね。描いてて くたくたに疲れるってことは きっと良質の情熱じゃないんでしょうね。
落ち着きもいい絵を描かせるものなんでしょうね。 あーそんな大人になりたかった。

車を運転するときは「理性でっせ」などと自分に言い聞かせるんですが これ一つでも ましな運転になるんです。 何事においても落ち着きは肝心です。

毎日「線が大事」という重しのもとに ドガは落ち着いて描くことに取り組んでたんやなあ。

この本 なんか 漢方薬みたいです。自分の足らん所がわかり 少しづつ補っていけるようです。

「金科玉條」 つまり大切な金言みたいなことなんですよね。
「福島さんあなた ドガのことえらく尊敬してるでしょう だれよりも」てなこと言ってみたくなるぐらいドガのことほめてませんか? そのころはまだまだゴッホみたいな人は「情熱に任せた画家」みたいに思われていて 本当はアングルを先生にしたような作家の絵がよかったんかも・・などと。

さいならさいなら
《 2015.04.17 Fri  _  ちまたの芸術論 》