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『ピカソとその周辺』フエルナンド・オリヴィエ著 佐藤義詮訳の続きです。


阿片

 月日が過ぎるにつれて、生活は多少落ち着いてきた。本当に土台が固まったのでもなければ、規則正しいものになったのでもないが、
ともかく以前よりは生活に腰が据わってきた。そこに女が一人いることは、確かに何かと役に立ったのである。食事も家でするようになっていた。しかしピカソはとっても嫉妬深くて、彼の愛人を一人では外出させなかった。だから自分で買い出しをしなければならなかったので、その当時網袋を手に提げて、こまごました生活必需品を買い歩く彼の姿が見かけられたものだった。
 一党の連中は、ことに年を追って賢くなっってゆくように思われた。あまりに落ち着きのない家を外にし過ぎる生活と、家に閉じこもって制作だけが重んじられ、それがすべてを支配する生活との間隔が、以前より一段と長くなった。
 あの物質上の困窮が数年間続いたにもかかわらず、画家は少しも譲歩しようとはせず、展覧会も開かず、こっちからそうそう頼みに行くだけの決心もつきかねて、画商の来るのを待っている。
 彼が最も困窮していた頃、その当時人気のあったユーモア新聞「バタ皿」に寄稿するよ
うに勧められた。それからは七、八百フランの収入があるはずだった。しかし、彼はきっぱりと実に男らしく拒絶した。
 そのころ、騒々しい一党が一時ぱったりと鳴りを鎮めたことがあった。「クロズリー」で、ピカソとその友人たちはある阿片喫飲者夫婦と知己になったのだった。ピカソは何事によらず好奇心が強かったので、阿片を喫ってみた。最初は当の夫婦の家で喫ったが、やがて連中がピカソの家に来て喫うようになった。彼は小ランプと鼻を刺すような臭いのする琥珀色のすばらしい竹煙管を手に入れた。そして数ヶ月の間、週に二、三度時間と自己を忘れる陶然たる境地に遊んだものだ。
 幾人かの親しい心の友だちが筵(むしろ)の上に寝そべって、理知と微妙さにみちた楽しい幾時間かを味わった。彼らはレモン入りの冷たいお茶を飲んだ。そして語り合い、幸福だった。美しく、気高く感じられた。その家の唯一の照明だった大きな石油ランプの程よい淡い光の中にいると、人間というものが恋しくてならなかった。時には、そのほのおも消されて、阿片用の豆ランプだけが今にも消えそうな弱々しい光で、幾人かの()な顔を照らし出していた・・・。あらゆる怪しい欲望の影を潜めた温かい緊密な親しさのうちに、幾夜かが流れすぎた。彼らはまったく明瞭な精神とつねにもまして洗練された知性とをもって、そこで絵画を論じ、文学を語ったものだった。
 友情はますます心おきのない、優しいすべてを許し合うものになった。しかし翌日目をさますと、彼らはあんなに共鳴しあったことも忘れてしまって、またお互いに悪口の言い合いをはじめるのだった。なぜなら、彼らほど、時に相手を傷つける揶揄や毒舌を名誉と心得ていた芸術家社会は他には見当たらなかったから。
 精神の、芸術の、思想の共鳴はしばしば見かけられた。まれには心の、義境の共鳴も見られた。そして多くの誓約、称賛、友情はあったが、そのうちには誠意というものがほとんど含まれていなかった。
 マックス・ジャコブはいつもピカソのことならほとんど何でも大目に見た。そして心から感心していたばかりではなく、限りなく優しい友情を示しているように思われた。けれども、他の人に対してもこのとうりだったわけではなかった。
 とはいえ、彼らはがっちりスクラムを組んで小さな党派を形造っていたので、その中に忍びこむことは容易ではなかった。
*()「うつろな」かなあ?

***

この嫉妬深いピカソの一面は、恋人を買い物にさえ行かせなかったということらしいですが、その後のピカソの女性関係にどうかかわっていったのか・・。
ピカソはまだ物質上の困窮があったけれども 画商に頭を下げたり、展覧会を開いたりはしていなかったんですね。こういうことは そうできる人とできない人がいるんですね。恋人にもええかっこせなあかんし。阿片をすっていたこともかいてありますね。そのころ阿片は こうした画家たちの間ですわれてたんですかね。中毒になって絵も描けなくなるようなことはなかったんですかね。
ピカソたちは「精神の、芸術の、思想の共鳴はしばしば見かけられた。まれには心の、義侠の共鳴も見られた。そして多くの誓約、称賛、友情はあったが、そのうちには誠意というものがほとんど含まれていなかった。」とあります。誠意ってなんでしょう、とこういう文章を読んでると知りたくなりますね。そして「彼らはがっちりスクラムを組んで小さな党派を形造っていたので、その中に忍びこむことは容易ではなかった。」
「彼らほど、時に相手を傷つける揶揄や毒舌を名誉と心得ていた芸術家社会は他には見当たらなかった。」
芸術家社会も大変ですね。でもそれを名誉としてたんだ。うまいこといいますね。

さいならさいなら  
《 2015.04.16 Thu  _  ちまたの芸術論 》