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おたより

Sちゃんからの1984年のおたよりです。38歳と35歳、そんな頃です。私はまだ大阪にいました。子供は小さく5人いて ただ忙しかった頃です。Sちゃんは美保関にいます。


たいして風も当たらず雨も少なく 何とはなしに向こうの山を見ると 山の木の葉が白く見えるので大風が吹いているのだな。 
朝 海がしけてたので 帰りはもっとしけるものだと思って わざわざ車をこっちに頼んで帰る時 風はふいているのだけれど 橋の上から海をみると 海は鏡のようになっていて 狐につままれたみたい。
関のほうに向かうと 風はふきあれて 海は大荒れ。
本当に風の向きと 地形によって こんなにも自分の考えと ちがうことが分かって 何が何だか分からなくなりました。
大変な一日でした。

こんなところで ひとまず終わりにして又書くことにします。
長い文はどうも苦手です。
みんなによろしく伝えてください。貴方ももう少し子供から手が離れるようになれば皆で遊びに来て下さい。
こちらはまだまだ自然が残っています。
昔とではずいぶん 感じは変わっていますが ちょっと離れれば 何も遊ぶ道具を使わないで自然と遊べる所が残っています。 天然のアスレチックみたいな所ですね。
皆が来る日を楽しみにして。 
                        かしこ

***

Sちゃん1984年のおたより なつかしく拝見しました。
そちらの海の様子が 不思議な光景となって どういうことかよくわからないのに わかるような気になります。

「天然のアスレチック」Sちゃんは面白いことを言ってくれましたね。ほんとにそれわかります。
私の子供の時の美保関体験忘れないうちに書いておきます。
子供のとき母につれられて行った美保関 小さな子供の時のことなのに けっこう覚えています。母の実家の縁側にこしかけて 行く人をながめていたこと。軍服を着た アメリカ人が 私に近づいてきて コップを手に持たせたこと。ぼーっと受け取って あとで大騒ぎしてみんなに見せに行ったこと。海がすぐそばで おじさんが岩の上でなべを洗っているのが家から見えたこと。 おじさんが見せてくれた虹色をした魚が「べら」という名前だったこと。周りの人ににこにこ笑いかけたら 「いいねえ」といわれて 私にはこれがとりえになると なぜか思ったこと。

自然は私の故郷もいっぱいあったのですが 海があるという美保関の自然は 私には忘れられない思い出です。 子供の時というのは ほんの数日のことであっても こんな年になっても覚えています。

おたよりおまちしてます
《 2015.04.13 Mon  _  エッセー 》