『ピカソとその周辺』の続きです。
ジャン・モレアスの話の続きでもありますね。
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ジャン・モレアスがどんなに感歎すべき態度で死の迫るのを迎え、すこしも恐れることなくそれを待ってたかということは、誰知らぬものもない。
彼を火葬に附した時、この詩人の美しい魂であったものが、すべて一条の黒い濃い悪臭のある雲となって空に立昇った時、わたしはギョーム・アポリネールの目にぶつかった。彼は泣いていた。
その後私はもう一つ埋葬の時、私と同じように泣いている人々の姿を見かけた。 それはギョームの埋葬の時のことだった。・・・ずっと後のことだが、それにしてもあまりに早過ぎた・・・。アポリネールはどんなに死ぬのを恐れていたかを私は知っている。
「クロズリー」ではまた、当時は若い軍人で、父親から受け継いだばかりのちょっとした遺産を底抜け騒ぎに派手に濫費(らんぴ)していたモリス・レイナルを見かけた。 レーヌ街の彼のアパートでの何という歓待ぶり!
彼はその家に当時の愛人と住んでいた。彼女は小柄で、ほんとに可憐で、とても美しく、愛嬌があって、優しく、また上品で、機智もあり、愛人のどんな気まぐれにも素直に従っていた。 彼らは特に率直な愛想のよい態度でお客を迎えた。 そのご彼女は肺を患って亡くなった。 笑いながらモレアスの揚げ足を取って、彼をとっちめないでおかなかったあの小柄のパリ女もまた、同じようにこの世を去った。
レイナルは当時若い美術擁護者のように振る舞っていて、そのころ彼の援助を受けた美術家の数は多かった。 彼がマロノを自分の駐屯地、たしかツールに連れて行って、かなり長い見習い期間中マロノの経費全部を引き受けて、二人がその地方民全部の眉をしかめさせるような生活をしたのを、私は記憶している。
彼は前衛美術の熱心な批評家になり、彼が唯一のものだと考えた道に従わなかった人々を容赦なくやっつけたものだ。
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ここにはジャン・モレアス、ギョーム・アポリネール、モリス・レイナルが出てきます。ここでよく知っているのはギョーム・アポリネールです。
ジャン・モレアスは「ねえ、ピカソ、ヴェラスケスには才能があったのかね?」などといった詩人でしたね。「ロープ・ヴェガ・ド・カルピオをどう思うかね?」とも。
私たちも こういう質者をよくします。「この画家の抽象画、わかったようでわからないよね どう思う?」などとね。しかしそうした そばによくいた人たちが この世を去って行く 。オリヴィエはしんみりとそういう人たちの言ったことを思い出しています。 第二次世界大戦が ここにいる人たちにどういうふうに影響を与えていったのか。 モレアスはユダヤ人をきらっていたそうですね。 モレアスをこっぴどくやりこめていた小柄な女も亡くなります。 モリス・レイナルの愛人も亡くなった。 レイナルは前衛美術の熱心な批評家だった。 この考えに従わないものを容赦なくやっつけたそうですが こういうことがまさに「そこに息をする芸術と芸術家たちがある」というふうに感じさせてくれるオリヴィエの文です。 自分たちのやっていることが一番であるとわいわいやっているうちに ひとにぎりの作品とそれを作った人を歴史に数えて どんどん時代は流れていく。 主になることなく そこの周辺にいた人たちのこと それは今でもあることであり そのことにそっと耳を澄ましたくなるようです。