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へんかかのう

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一番の個展はやはり、この「十代の絵展」だろうか。
私は、この個展で、10代の絵と決別しようと思っていた。(おおげさかな)
いつまでも、古い話にこだわっていたら成長できないと思ったからだ。だから、十代のクレパス画などは見に来てくれた人にもらってもらった。自画像や田舎の風景など。
それですっきりしたのかというと、そうでもなかった。
ところで、私はなぜ十代の絵の続きをしなかったのだろう。あのころの自画像はよかったのに、といわれることがある。自分でも一番の絵たちだと思う。

それはピカソという画家から「変化可能」ということを知ったことが大きかったからだろうか。
ピカソが「変化可能の達人」だったのかそれはわからない。 ピカソはピカソのやりたいことをやったのであって それが私には「変化可能」と写ったのかも知れないから。
しかし私にとってこのことは そのころ画集で知ったルノワール、ゴッホ、セザンヌ、ロートレック、モジリアーニたちとは違って見えた。 彼らは一つの事を深く追求しているふうに見えた。 日本の画家だって外国の画家だって深く追求している人がほとんどだと思った。
で、「個性というのは多数じゃないだろう」とえらそうに考えた。
そういうわけでピカソのやり方に決めた。
実際にこういう変化可能を実行するのは楽しかった。 深く追求するとえらい疲れる。 肉体が疲れるのも 考えすぎる(追求する)のも私には向いていなかった。 向いていないというとどこか理由がありそうだが そのころから私は明るくなった。
「真実はどこにある あそこかもしれない」などとない頭で追求すると暗くなるのだ。 きっと単純な頭の質だったのだろう。
絵で苦しむなんて事もなくなった。しんどくなったら「ひょい」と「ひらひら」と飛ぶからだ。 自分には絵のスタイルなんてないとも思った。そのくせ何を描いても私だってことは それは「自分が線をひいているのだからしかたがないわなあ」と考えた。
何事も簡単になった。

そのうち「なんでもやろう」と思った。 文でも漫画でも布でも やりたくなるとすぐやった。 のると「どこまでいくのかしらん」と思ったが すきまかぜがふいてくると さっとやめた。 それにたいする罪悪感は なくなっていた。

絵はそんな中で主役を演じ続けているけれども 一番窮屈な使命感などがある そんなものになった。「きらいです」というのもかったるいし そのままにしておいた。 ときどき思い出したように「やっぱり絵描きなんよ」と思う時に出会うと 手や肩が痛くて 「これは1ミリづつしか前に進めんわ」と。 ほんの子供の頃にきめた「画家になる」は純粋な小さな子供との「約束事」のようなものだった。 だからやめるというのはその子供をだますようで いやだった。

なんだかんだと そんな私だけど いつごろから「ふりかえること」を専門にするようになると やっとそんな義理堅い思いからも解放された。

やりたいようにやってきた作品は それなりに自分には面白い。
自分のことは何をしてもいいものだ。
いちいちすみからすみまでとりあげてみるのも なかなかのものだ。

しかし写真から絵からまんがから布から読書から他人の作品から 死ぬまでやりきれるかしら。

のりばっぱ(N) これはファイルにあったエッセイが一人歩きして
横歩きさん(Y)「解放主義」の出現ですね
(N) そうなんです
(Y)16才の水仙の絵ですね
(N) 今、庭に咲いています

《 2015.04.10 Fri  _   》