『印象派時代』福島繁太郎著の続きです。文字は私の漢字にがてにそって 今風に転換していますので あしからずです、はい。
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1886・7年に至ると、社会の印象主義に対する認識は漸次(ぜんじ)改まり、その影響は外国にまで波及して、ドイツのリーベルマン、スカンジナビアのゾルンのごとき有能なる作家を出した。
正面の敵であった官学派陣営に於いてさえ、印象主義をある程度に加味するものが続出し、ラファエル・コランその他の鵺(ぬえ・まがいものという意味)的印象派を生ずるに至った。黒田清輝によって伝えられ、日本において紫派と呼ばれたものは、実は真正なる印象主義にあらずしてこの鵺的印象派であった。
印象主義の勝利がほぼ確定的となった時、皮肉にも印象派の若手の中にセザンヌやルノアールとは異なった意味の印象主義の改訂、反動が起って来た。よき画家は常に社会の認識に先駆して、苦しまねばならぬ運命に置かれている。
スウラー(1859年生)はシャニック(1863年生)と共に、ネオ・アンプレッショニズムを創始した。この傾向の現れたのは1886年の印象派展覧会であったが、印象派展覧会は啓蒙運動の目的を完遂して、この年をもって最後となった。そして印象派の創始者はしばらく大家として納まった。それ以後はスウラーたちが創立したサロン・デ・ザンデパンダン(1885年創立)が新興絵画の温床となった。時代は移り、舞台は変わったのである。
印象主義は光学的な理知に基づきながら、その方法は感激に任せた本能的なもので、ネオ・アンプレッショニズムはこの表現方法を合理化したものである。故にこの主義は印象派の直系の運動であるが、感激は理知によって統御せられ、自然は作家の構想の下に整理されて表現せらる事となった。
この特性は感性的の絵画である印象主義の進展といわんより、むしろ本質的な革命であった。
絵画芸術は結局、自然美の感激に直接基づく傾向、すなわち自然に作家が奉仕する関係に立つか、あるいは作家の構想力が自然を統御する関係に立つかである。ネオ・アンプレッショニズムやゴーギャンの主張によれば、後者の芸術傾向が優れるが如く聞こえるが、これは諸謂(しょい)宣伝であって、冷静に客観的に観察すれば、いづれの芸術傾向を優れりとはいいがたいのである。
作家が自然を統御する傾向が続くときは、人間の智力には限りがあるから、しだいに機械的になり、人為の臭気が強くなって末梢的となり、健康性を失うものである。芸術は時折自然の直接の呼びかけに戻ることが必要である。
事実、歴史的に考察すれば、この二つの傾向が交互に興っていることを見出すのである。
アングルの理想主義的古典主義の反動がモネーの自然主義にまで到達したと伝える。そして再び時計の振り子の如く、この自然主義に対する修正や反動が興ってくる。セザンヌやルノアールがその最初の現れであり、スウラーに至ってその反動は明らかとなった。
点描法はベルギー人、ヴァン・リイセルベルグより兒島虎次郎に伝えられて、日本に渡来したが、リイセルベルグ自身がスウラーの知性的構想主義を理解した人ではなかったから、兒島の伝えた点描主義も印象主義を点描に書いたのみで、スウラーの求めた沈静な古典的精神を片鱗だにうかがわせる事のできないものであった。
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印象主義が認知された頃の話とその反動が出てくるところまでが書いてあります。
福島繁太郎という人は職業でいえば評論家なんですか? この印象主義、官学派、鵺的印象派、ネオ・アンプレッショニズム、紫派とかいろいろでてきて、評論家というのは 画家たちをいろんな部屋に分類して わかりやすく整理整頓していく人たちなんだなあと思ったことでした。
でもその部屋に片方足を突っ込んでいて 片方はちがうといったような画家たちもいるわけです。
その「派」の移り変わりは 興味深いですね。
この人は「印象主義は光学的な理知に基づきながら、その表現法を感激に任せた本能的なもの」としています。「感激に任せた」という書き方が 笑ってしまいましたが民主主義の時代だから笑ってもいいでしょうか?「スウラーはこの表現方法を合理化したものである」といっています。
「理知と感激」それまでのドラクロアやルーベンスの絵は どういうもんなんでしょう。これも勉強すればやがてわかるんでしょうね。
そこで私は考えるのでした。「感激だけでは絵画とは言わんのでー」「理知がないと」このことは今でも作品評価の基盤になっているわけなんですね。その理知のところを絵画の歴史などを勉強した人、つまり評論家が整理整頓して現してくれるわけなんですね。そういう理知をわかってて描いてる画家も今はけっこういるのではないでしょうか。
でもその絵の「謎解き」は理知専門家に任せて と言いたいところですが こういう画家は専門家に任せてられないんでしょうか。「勝手に分類するな」など理由はあるのでしょうね。
「よき画家は常に社会の認識に先駆して、苦しまねばならぬ運命に置かれている」
なるほど。「印象派の創始者はしばらく大家として納まった」それ以降はスウラーたちが創立したサロン・デ・ザンデパンザンが新興絵画の温床となった。このスウラーのやったことは本質的な革命だといっています。「スーラのような点描」と私はその描きかたに目をむけますが きっとそこが革命と言いたくなる所なんでしょうか。それはどういう革命だったのか。「スーラはどういってほしかったんやろ」「なんであんな点いっぱいにする苦労をこの画家はあえてしたんやろ?」と思うんですが。
こうして見ていくと 「私はすずめサイズの片羽の画家」ではないかしらんと思います。その片羽は「感激」です。でも、ゴッホやピカソに影響を受けたりとなると 両羽。しかしそういう画家たちに従属してばかりだとだめよというので こんどはいろんなとこに飛び歩く逃げる画家。 そうかと腕を組むと 月の夜。(しみじみと)
印象派の中で飛び回ったり 前衛画家の中で一休みしたり こういう本に出会うと自分が見えてくるから面白いのです。
この本は1943年に発行されていますが 素直に読めばいろんなことが見えてきます。この人は 印象派を敵に回すとかはしてるんですかすねえ。私は今のところわからないんです。その時代ってすぐ敵、味方というふうに考えていたと、まともな評価なんてなされなかったんじゃないかという先入観が私にはあるのです。そして外に出すこういった書物は特にそういうものがあったんじゃないかと。これから そういったことも含めて読んでみたいと思ってるんです。
このスウラーの作品 代表作(教科書などで見る)とはちがって 私はいいなあと感激しています。白黒だというのも スウラーにしたらちょっと残念かな ですが またそこがいい! あの、スウラーはいまでいうスーラです。マネだってここではマネーですからね。
鵺的印象派、こんなことばあるんですねえ。私?鵺的印象派だったりして。「私、鵺的印象派なんです」こういっても分からない人いるやろなあ。なんかかっこいいと思ったりする私はなんなのだ。
さいならさいなら