who am ?I

PAGE TOP

  • 04
  • 02

おたより

スキャン700.jpeg


母が美保関の姉さんに出した手紙をアップしてみますね。 写真はSちゃんのお家です。お母さんやおばあさん(母の姉)のやっていた「きめこみの貼り絵」があったりします。みんな手先が器用です。
母と姉は亡くなっていますがSちゃんのおかあさんは92才です。やはりぬいぐるみに着物を縫ったりしています。


ながい間ごぶさたしていますが げんきですか。
こちらも(信州)も山にかこまれていますので、春から夏になるようで 暖かかったりさむかったりしています。 時々強い風がふいてきます。 この間まで高い山は氷山のようでしたがこの頃少しずつ雪の間から山はだが見えるようになりました。
辺りの家はみんな新築でまわりにはタンボもたくさんあり稲がよくのびています。
毎日いろいろの鳥がきてないています。
私もこちらに来てから寒さがいけないのか病気して入院も二回程しましたが、今は家に帰り元気になりました。
三方(実家のあったところ)より遠くに来ましたので関(美保関)も遠くになりました。
まだこちらに来てからはどちらへも行ったことありません。まだまだ出かけられません。
姉さんはその後からだの具合はどうですか いつもあいたいと思っています。 私はいつも肉親や知人と遠く離れてくらすうんめいなのかと淋しくなります。
夜になると姉のげんきな頃、関でくらしていた頃、母のことなど思い出してなつかしく思っています。 みなさんにめいわくをかけないようにげんきでいて下さいね。私もなつかしい関にかえってみたいといつも思っています。 あれから輝さん(弟)はそちらにかえりましたか。 家のみなさんげんきですか。みなさんにめいわくをかけないようにげんきでいてね。 またあえるのを楽しみにしています。
                         鶴子

  姉上様

***

お母ちゃん お姉さんへのお手紙拝見しましたよ。Sちゃんのうちで大切にとっといてくれたようです。
お母ちゃんが信州の私たちのところに住むようになって 何年めの手紙かなあ。
心臓がわるくて 信州の寒さは体に良くなかったのかもしれませんね。でも入院してもけっこう楽しそうにしていましたよね。病院ってところは不思議なところですね。どうしてかっていうと 家にいると お母ちゃんと同じくらいの友だちもなかなかできませんよね。ところが入院している方たちは おとしよりが多いですよね。話もあうんじゃないですか。私に買って来てほしい物をあらかじめ頼んでおいて それがくると 例の家計簿がわりの小さなメモ帖にこれまたちいさな鉛筆で書き込む。これさえやればどこにいても平気みたいな顔でしたよ。看護婦さんの元気で明るい声がけもあって 私の見る限り活気があるのでした。おかしいですか? 病気の人たちが入るところなのにね。

私もそんな病院の様子を見ていて こんどお母ちゃんが帰って来たら看護婦さんのように「おはよう」とか元気よくお母ちゃんにいったげよう と思ったことでしたよ。

三方にいた頃は お母ちゃんは弟の輝のおじさんの車で美保関につれてってもらったんですよね。 三方迄迎えに来てもらってね。 美保関で姉さんに会ったり親戚に会ったり 海を見たり それは 一番うれしいことだったんでしょうね。 おじさんが写してくれた写真がいっぱいお母ちゃんの手元に残されていましたね。
お母ちゃんはそういえば神戸 三方 そして信州とみんなとは遠く離れてくらすことが多かったですね。うんめいだと思っていたんですね。
私たちとくらしていても あまり文句を言うことはなっかったお母ちゃん。 いってもどうなるわけではないと思ってたのかしら。 それにおかれたところで楽しみを見つけるのがうまかったよね。 ふふふ私もそう。

「氷山のような山」を見上げながら 「きじばと」のやってくるのを待ちながら 山のような洗濯物を ほしていましたね。なにせ8人家族でしたからね。

迷惑をかけないようにと姉さんに云ってますね。 年をさらにとるとこういう心境になるのかしら。 目をつぶって私は思っています。「年取ると迷惑をかけるんや」

4年 私たちの中で 大変な毎日をくらしてくれてありがとうね。
おたよりおまちしたいところですが それは無理かも。 霊界通信できるかな? 


《 2015.04.02 Thu  _  エッセー 》