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おたより

Sちゃんからの手紙の続きです。1990年。
このころ私たち一家は この信州の地に大阪からやって来たわけです。


関(美保関)の方は 二月三日の夜 K屋(屋号)は「さわず」(ブリより小さく はまちより大きい位い)が大取れして 親戚一同手伝いに行っても あくる日の午前中までかかって しまつしたような事で 十本入りの箱が 九〇〇箱取れて 手伝い賃によけい貰って あっちこっちに配りました。

近くなら あなたのところも 貰えたのに 生ものなので早く食べないといけないしで会社から帰ってから いつも野菜を貰っている所にも 持って行ってあげて 喜んでもらいました。

漁があると なんとなく ワクワクします。 心が浮き立ってくるのよね。 別によその事なのにと 思うのだけれど 魚がピチピチはねて かごからざっとうつされると いろいろな 種類がいて まわりの人がどの魚を取ろうかと じっと見ていて さっと 自分のほしい魚に手を伸ばす。
漁が有ると 活気も出るし 海のそばは やっぱり大漁が一番です。

K屋は新しい船にして はじめての大漁で ホッとしたことでしょう。 あまり魚の値はよくなかったようです。 それでも百万より下ってことはないでしょう。

その大漁の有った時 父母が留守していた日の翌日に 祖母の様子がおかしくなって 腰が痛いと本人は云っています。 二三日寝たら足が立たなくなって 一時は心配しましたが また立てるようになったけど 少し変わったようです。

次から次と いろいろな事が有ります。
するめのこと(どんなことだったのかしら?)早くします。
娘さんたちに手紙ありがとうとよろしく伝えて下さい。
Rちゃん(息子)に すてきな絵ありがとう。
また皆がよろこべるよう 努力します。

***

Sちゃん 1990年のおたより なつかしく拝見しました。
そちらの漁の話 私もその場にいるようで ワクワクしました。
大漁になると 九〇〇箱も「さわず」が取れるのですね。 さわずなんて魚の名前 初めて聞きました。はまちはよく聞きますが。
大漁の時には 親戚も出て しまつするのですね。 どういうふうにやるのかなあ。
今 朝ドラで 「マッサン」をやってますね。 北海道で漁師の網元をやってるのが「くまさ」んなんかなあ。 あそこは「にしん」が大漁だと えらいもうけになるらしく でも それがないと ひっそりとしている。 生活さえ苦しくなって。 そんなのを見てると 海という自然相手は そうなんだなあって。

K屋は母の実家で 母の兄の時から漁師をやっています。 息子はとても腕のある漁師で80近い今も 漁にでているそうです。 夏 その美保関に行った時には その船で 子供たちと 泳ぎにつれてってもらいました。 あまり人のいないとってもきれいなところでした。いとこは「すててこ」はいてはちまきして Sちゃんのお父さんといっしょのかっこうでした。

「漁師の血が騒ぐ」 なんて言葉を使いたくなるようですね。 わたしには3人の兄がいたんですが 今はなくなっていない 「やっちゃん」が 美保関の血が濃いらしく 美保関にもよく行ったそうです。やっちゃんは 兵庫の実家に帰ると 川の魚めがけて走り 海に行くと いとこのこの漁師についていく。母の実家のこの漁師の血を感じさせるのは やっちゃん一人でしたね。 おもしろいことに顔かたちまで あちら方面に似ていました。 あるんですかねえ そういうこと。 このあいだ 母の若かりし頃の写真を Sちゃんにもらったんですが その兄は 母によく似ていました。私は五人兄弟だったんですが今はわたしと一番上の兄一人。寂しくなりました。

おばあちゃんは私の母の姉ですが 「腰のほう大丈夫?」と聞いてしまいそうですが もうとっくに亡くなっていますね。 昔 この美保関が観光で栄えた頃 髪結いさんをしていたという人です。「関の五本松」の民謡がよく歌われ いしだたみの両サイドには旅館があった そんな所でした。

おたよりが再びできるようになって 本当にうれしいです。おたよりおまちしてます。




《 2015.03.22 Sun  _  エッセー 》