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1ぺーじ

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『ピカソとその周辺』の続きです。
この写真は 向かって左側が 洗濯船 向かって右側がマリ−・ローランサンです。


 そのころピカソは、今日では有名なエッチングを制作していた。それは一人の男と一人の女が酒屋のテーブルの前に坐ってる図だが、この餓に瀕した男女の、貧窮とアルコール中毒の激しい表情が驚く程写実的に表現されていた。
 あらゆる絵の中で、とりわけ一つが私の心を打った。その後ピカソはたしかその絵を塗り潰してしまった。それは一人の不具者が松葉杖にすがって、こぼれるほど花を盛った籠を背負っている図である。人物も背景も新鮮で華やかな色調の花を除いては、すべてが青一色だった。その男は、憔悴し、やせこけ、惨めな姿をしていた。彼の眼差しはその悲しい諦めきった様子を表わし、あらゆる人間の慈悲心に痛々しく訴えるものがあった。
 その作品の奥底には何が潜んでいたのか?その作品は、その後わたしが理解したように全く頭脳の所産であったのか、それともその当時私が信じたように深い絶望的な人間愛を表現したものであったのか?
 ピカソは、その当時しばしば材料を買うかねにも事欠いたので、その絵を塗り潰してしまった。そして、ピカソは花を盛った負籠を背負う青い不具者の上に、後年、ルアールのコレクションに入ったあの道化役者を描いたということを、断言することができると思う。  ピカソのアトリエは、その同国人たちの、特にそこから程遠からぬ所に住んでいた友人であり、後援者であり、彫刻家のパコ・ドゥリオの安息所であった。

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ピカソの洗濯船もアポリネールの写真ものこっていたんですね。
「青の時代」のピカソの作品は やせこけ 惨めな姿をしているのが ありますね。 私は あの巨匠ピカソが なぜ あのやせこけた人を描くのか 考えたことがありました。 オリヴィエもそのようなことを考えていたんですね。 「それは頭で創作したものかそれとも(頭脳の所産)深い絶望的な人間愛を表現したものであったのか」
道化帽を被った赤い大きな道化役者(ルアールコレクションにはいっている有名な絵)の下には「花を盛った負籠を背負う青い不具者の絵」があるのですね。

ピカソの貧乏な時代は 新しいキャンバスを買えないので 絵の上に描いたんですね。
ピカソは製陶家 パコ・ドゥリオの安息所をアトリエにしてたんですか? そうそう この本の中の写真にありました。 このピカソがのってる写真 とにかく貴重ですね。

画家がどんな絵を描くのか そのとき情感に訴える絵を どうして描こうとしたのか ピカソの生活や時代背景などを想像してみるのも いいですね。だってこのころのピカソはお金にこまっていたし はやく絵が売れてくれることを考えたでしょうからね。
ピカソの作品の中には 当時売れっ子だったロートレックの絵のようなのも描いていますね。 画家はその時代に従うときもあると思います。 そうしないと売れないということもありますからね。
私はかって「どうしていろんな画家の絵の影響を受けたような絵を描いたんだろう」とピカソのことを考えたことがあります。 ピカソというのは 一人の画家が一生かかって描いた絵さえも うばうようにして なぞってみたんや と思っていました。

画家たちは若い時に だれかの影響をよく受けています。 でもピカソの場合はそれがささーっと通りすぎるだけのことのように 私には思えたのでした。

でも、このころのピカソは 本当に生活にこまっていた。 そうする必要があったのかもと思えたのは このところを読んだからです。

オリヴィエのこのときの「その作品の奥底には何が潜んでいたのか」は「当時信じたこと」と「その後 理解したこと」があり こういうことを書いたオリヴィエにとても興味があります。 というのも 彼女は多分ピカソにそういう話を しなかったのだと私は思います。 そういうことは あまり聞かないものだと私は思うからです。 そして話が「後者」なら ピカソもあまり話したがらなかったかも知れないからです。

さいならさいなら
《 2015.03.22 Sun  _  ちまたの芸術論 》