『ピカソとその周辺』 フェルナンド・オリヴィエ 佐藤義詮訳
この本のこと おぼえてますか。 そういう私も 忘れてるんですが 続きを書いてみますね。
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丘の上
私がこれから語ろうとしている芸術家ー画家や文学者たちのことを取り扱った書物は、かれらの本性については沈黙を守っている。それは主として公表することに興味をもっている人々を喜ばせることだけしか書かれなかったためである。
私は彼らと一緒に、誰よりも一層彼らの身辺で生活した。 なぜなら「ピカソの家」は、また彼らの家でもあったので、いつも彼らに開放されていたし、その時々のふところ具合で多かれ少なかれご馳走を用意した食卓には誰彼なしにみんな迎えられたから。
アトリエの片隅にある敷き布団は、おそらく少しばかり固くはあったろうが、帰りそびれた人や一時宿なしの人を、いつでも泊められるようになっていた。
私は彼らの生活を自分の生活とした。彼らが生活し、考え、苦しみ、希望し、殊に仕事をするのを目のあたりに見た。私も彼らと一緒に生活し、考え、苦しみ、希望しながら。
だから私の思い出を間違って語る心配なしに、彼らの世に知られない苦労にみちた生活を人の前に示すことができるのだ。
彼らに関して書かれたものは、今日までのところ、カルコやマック・オルランのように文芸化したもの、最初は冷酷だったが次第に態度を和らげたヴォーセルのように評論にしたもの、バスラーのように、当時彼らの健康を祝して飲んだ「クリーム・コーヒー」が原因の消化不良のせいだと思われる陰険な毒舌もの、モークレールのように、芸術の上ではただ昔の大家たちがたどった道しか認めようとせず、ただ彼らの芸術を理解するに止ったものがある。また私たちの親しい懐かしいギョーム・アポリネールのように、更にまた、久しい年月の間私たちの生活を見て来たので一番真相に通じているマックス。ジャコブやサルモンのように詩にしたものもある。
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フェルナンド・オリヴィエがこんなに文才があったとは。
序で彼女は「私は、回想録とか思い出の記とか書簡集とかが大好きである。」「この種の作品のみが、年月に耐え、読んでたのしくかつ有益なものではなかろうか。」と書いています。そう言う意味ではピカソのことを書くにふさわしい女性だったのかもしれません。
今日はなんだかしんどいので これくらいにしましょう。
きのうはローレンス・トーブと内田樹さんの対談を読んでいくうちに 逃げ腰になりましたが これはもしかして 入り口が 自分の関心のある世界じゃないからだと 思うことにしました。 こうした絵のことだったら 自由に書けるんじゃないかと 考えてるところです。
話はかわりますが 第二次世界大戦のときの ユダヤ人のピアニストの話「戦場のピアニスト」を見ました。とにかく ナチスドイツのこわいこと。 日本兵だってこわかった。戦争になるとあんなにひどいことが起こります。 もう追いつめられて追いつめられた時に ドイツの将校とこのピアニストが あれは誰の曲なんですか 彼がピアノを弾く。 リストの曲も流れてましたよね。 将校は彼を殺さなかった。このピアノ曲が二人をむすびつけたんですかねえ。 名曲なんですね そして将校も感動した。
やっぱり芸術は 人の心を成熟させてたんですかね。 きのうの「人類は成熟する」です。 廃墟と死体の中 曲が流れる。 歌だって そんなところがあります。
しんどいといいながら 夫せいに頭をもんでもらいながら 久しぶりに頭痛ですわ。
さいならさいなら あしたは元気になっているかなあ