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何年まえの話かな わたしはこの写真を見て息をとめた。長崎で撮られたというこの兄弟(弟は死んでいる)。2008年8月7日のテレビで この写真の出所がジョー・オダネルという戦後すぐの米軍写真班の一人のものであることを知った。
ジョー・オダネルはパール・ハーバー以来日本という国を憎んでいた。
そんなアメリカ人が 被爆した長崎におりたった時 少しづつ そこにあった悲惨な状況や 親を失った子供たちを見たとき彼は変わっていく。
本当に米国のやった事は正しかったのか と。
彼はそこにいる人間を写し始めた。 それは軍からはいけないとされていた。 かれは密かにそれを持ち帰った。家族にもあけることを禁じていた。 写真は40年余りしまいこまれたままになった。
ジョー・オダネルにも2人の子供がおり 父親である彼はやさしかった。平和な家庭だった。
しかし 彼は写真を公表しょうと思った。 封印を解き 原爆の恐怖を社会にうったえようとする。 そこからこの家庭はこわれていく。
外からのいやがらせの数々。米国の原爆を日本におとしたことにたいする「まちがっていない」という考えは根強い。
その後2007年、彼は原爆症とも思える症状に苦しみながら亡くなる。
それまでの間 彼は人々に原爆の恐怖をこの写真を見せながら 訴えていく。
公表された時 息子は20才だったという。その頃は息子は父親のこうした行為を理解できなかったという。
しかし今 父を亡くしてその時父がどう考えていたのか 理解しようとしている。
長崎に行き 今も原爆症に苦しむ人々に会い 写真にうつっていた人にも会った。
父の撮った写真の中では 長崎の人々は暗い。 今はどうなんだろう。
息子は長崎の子供たちを写す。笑っている。
この話の内容は テレビのドキュメンタリーで見た。
私がこれを見て どう感じたのか。
かって新聞を見て 強く引かれた写真の出所が このジョー・オダネルだったということ。 彼がアメリカにいて この写真の公表を40年後に思い立ったということ。 そのことが日本人だけではなく世界中の人々にとっても とても大切なことであったこと。 彼は家族のことを考えないわけではなかったと思う。 それをのりこえる一瞬とはなにか。
自分の人生の中で 彼の行動は自分にどううつっているのか 考えている。 その写真をとってから40年とある。 幸せな家族とのくらしが もともとあった彼の人間性を深くしていったことだと思う。 自分はもう先が長くはないと感じたのかもしれない。 長崎に真っ先に写真班として降り立ったわけだから 原爆症になる可能性はある。 アメリカ側もそのことを知っていたはずだと私は思うけど どうだろう。
やさしかった父親であるジョー・オダネルは 家庭が自分の取った行動で こわれていくのをその目で見た。 アメリカ社会での反応にも 失望したことだろう。「正しいこと」は実はむずかしいのだと気付かされる。 公表したのはまちがいだったと片方では思い続けたかもしれない。
しかし息子がまず理解しょうとした。10年たてば人々の中にうなずいてくれる人々が出てきた。そんな時 もうジョー・オダネルは亡くなってる。
これは 私の人生でもありうるのじゃないかと思うことがある。 そして他の人々の中でも。 それは「いたみを ともなう ことなんだ」ということをしっかり覚えておこう。
さいならさいなら