宮武外骨の『面白半分』という本を またもやTさんから借りました。(河出文庫 吉野孝雄著)
この本の冒頭から こんなことが書いてあるではありませんか。
外骨のおもしろさは?と訊かれて、何がどうおもしろいのかを説明しようとすると、どうもうまくいかない。つまり「説明」になってしまうからなので、世の中で説明ほど退屈なものはないからなのだ。おもしろいものは何の説明や解説も必要なく、見るものが自分で発見し味わうからおもしろいものなのである。それを他人に指摘され、おまけに説明や解説までされてしまっては、その時点でおもしろさのほとんどは消えてなくなってしまうことになる。親切は、おもしろさにとっての最大の敵なのである。
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いやあ、まいったまいった。宮武外骨にしても しかり 植草甚一にしても しかり 赤瀬川原平にしても しかり。のりばあしっかりせい ということに なりました。
あんなにがんばったのになあ。そして こう書いてある。
しかし、何がどうおもしろいのかは自分で発見し、納得してもらうしかないとして、どこにそのおもしろさがあるか、という点については簡単に紹介することができる。
私はしばし寝ることにした。 こういうときはがっくりかたをおとして 寝るほか ないからだ。
おやすみ さいならさいなら