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おたより

Sちゃんからの1994年の手紙です。
この年の暮れに母は86才で亡くなっています。 母の姉も(Sちゃんの祖母)かなり弱ってるようです。いくつ歳がはなれてたのか いくつで亡くなったのか 母より後です。

連日の暑さに うだっています。
皆様お元気ですか。 この前に本を送ってもらって有り難うございました。 少し読んでいて 話をしているような気持ちになり なつかしい気がしました。

8月に入るなり Iちゃん夫婦(私の兄)と娘さんと会って 娘さんのほうは のりちゃんによく似てると思って ながめていました。 年が近いせいか話しやすく(兄や兄嫁)楽しく2日間を過ごしました。 いつもあわただしく来られて なんのもてなしも出来ず申し訳なく思います。 ゆっくり話す間もないので おばさんの話も(母のこと)又聞きで。 「うちのお婆ちゃんが(母の姉)今年の夏は越せないかと思ってた」とみんなになんども云ったような気がします。 夏が過ぎれば山越したようなもの。 涼風が吹けばまた元気を取り戻してくると思います。 一度早めに行こうと思いつつ いつもなにかと用事行事に追われる事になって 思うように行かないものだなあと 思っています。

手紙一つ書くにも 自分を追い立てないと書けなくて 皆どうしてるかなーと 山のかっこうを思い出しています。 Kちゃん(息子)が声変わりしてるよと聞いたり しばらく皆に会わないうちに どんどんと成長してるのだなと いろいろ思ったり 想像したり 気持ちは飛び散っています。

まだまだ残暑も厳しく 若いと思ってる私たちでさえ 身の置き場のない気持ちになる暑さ。 皆様もおからだ大切に。 おばさんに元気が出るよう頑張ってもらうよう頼んで。
皆様 もうしばらく 頑張って下さい。

***
Sちゃんなつかしいおたより拝見しました。
いまは2015年の真冬、うだるような暑さとは逆の季節にいます。 そちらの暑さはどんな暑さなのかしら。年寄りがその夏を越えるのは大変なのですね。60代のわたしたちさえ 年々この暑さがしんどくなるなあ とよく話しますからね。 年とともにただ暑いというんじゃなくなってくるんですよね。 冬と夏とどっちがしんどいかな などと思っています。 夫せいは いくら暑くても夏が好きだと言います。 冷え性なので 足の先が冷たいとか からだが縮こまるとか。 私は冬のこの縮こまってられるところが 好きだったりします。 こたつに縮こまってこうしたことをやれるなんて 本当に幸せです。Sちゃんはどうですか?

兄一家が美保関に行きましたか。嫁さんはたしか私と同じ年生まれです。 この私と六つ違いの兄は2006年63才で亡くなりました。わたしはその兄の年を越えてしまいました。
 
兄は1943年生まれで 第二次世界大戦のときはまだ乳飲み子の時がありました。親は神戸で先生をしてましたから 戦況が厳しくなってくると 姉のところにあずかってもらうことにするのです。 Sちゃんのおばあさんのところです。Sちゃんは生まれていません。お父さんも結婚してなかったんじゃないですか?
兄は母の姉のところ(Sちゃんのところ)でしばらくお世話になっていたのですね。 母の戦時中の話には必ずそんな話も出てきました。 兄は私たち兄弟の中でも 母から言わせれば一番可愛い顔をしていたそうです。 なんでも寝かせてある兄の部屋の上を焼夷弾が通ったらしく 美保関でも危ないというので 母は息子をひきとりにいきます。 その頃にはねえさんも兄のことがかわいくなって 兄をほしいといったそうですが 母はとんでもないと言ったそうです。母はねえさんを頼りにしていたんですね。この話も必ず話していました。  母には3人の姉妹がいます。姉と妹です。妹は若くして亡くなっています。7人兄弟だったそうです。早くに父親を亡くしているので母子家庭でした。小学3年生のころだったそうです。

話は長くなりましたが そういうので兄は美保関には縁があるのです。 母は神戸大空襲にあい 家を焼出され 逃げまわりました。そのときの話も よく聞きました。 父は生徒を連れて 兵庫県のみささ温泉へ疎開しており 父方の祖母も疎開してます。祖父は兵庫の自分の家に帰ったのかなあ。祖母はもしかしてこの乳飲み子の兄といっしょにゆむら温泉に疎開してたのかもしれません。ああ、ここらへんのことは ごちゃごちゃです。私は戦後生まれなので くわしくはわからないのです。
 戦時中の兄たちは 戦後の食糧難の時もそうですが 日本中が 大変でした。 みんないっしょに暮らせるようになったのは 戦争が終わって 父の実家に帰ってからです。 終戦の年 祖父母があいついで亡くなりました。 一人っ子の息子夫婦が 先生をして共働きだというので神戸に行ったのです。 孫たちの子守りをするためです。 祖父母は兵庫の自分たちの家を人に貸して 神戸に出てきたのです。 神戸で母は4人の子供に恵まれます。 昭和16年に女の子を赤ちゃんの時に風邪がもとで亡くしていますが。 
 
ここらへんの話は何度も聞いていますがこうしてまた思い出そうとすると、祖母が乳飲み子の兄の世話をしていて それは年老いた人には苦労だったんじゃないかな とか また新しい想像が付け加えられていきます。わたしは戦後の生まれですから 戦時中の事は 話に聞くだけで 体験してませんからよくわからないところがあるのです。 そんな話をする親たちや2人の兄も亡くなり 今は兄弟2人きりになりました。一番上の兄がいるのですが13年上です。

私の家族の話をいっぱいしてしまいましたね。 Sちゃんもおばあさんやお父さんやお母さんに聞いた話をしてくださいね。 Sちゃんとこも おばあさん、お父さんは既に亡くなっていますね。

おたよりおまちしてます! 


《 2015.02.15 Sun  _  エッセー 》