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おたより

きょうは手紙について えらそうなことを書いてみようかな。
そうだ、このホームページを読んで下さってるみなさんに「おたより」を書こう。

みなさまNEKO 美術館におこしくださいましてまことにありがとうございます。
この「おたより」の場所は どういうところなんでしょう。よくわからないいですけどね。

わたしは今65才ですが、わたしの世代には遠く離れている友や親兄弟と連絡を取り合う手段は、どんなものがあったのかと言いますとーそれは電話であったり手紙であったりしたのです。今も手段の一つではありますが、さらに携帯のメールがあったり、電話やパソコンもありますね。若い人たちは、切手をはって、宛名を書いて、裏に自分の住所を書くなんてことあまりやらないのかも。

わたしは けっこうなんでも手元に残してきました。 手紙、日記、絵、諸々のもの、きりぬきなど。 それらは時を経て 熟成しております。あ、これは今の朝ドラのマッサンのセリフでしたね。ウイスキーの熟成。

手紙は それを出した人にとって 残してなんか欲しくないものの一つかもしれませね。 それはわかってるんですが。 しかし、その名文を その人の表現を このままにしておくのは おしい。

 気に入ってるんです。「気に入る」これは草間流でいくと「愛」ではないのかと。ちまたの我々というのは 手紙という表現でもって ええっと よくわからないんですけどね、元気づけられたり 元気づけたりしているのではないでしょうか。それは日本の人を元気づけるかもしれない。世界中の人を元気づけるかもしれない。また大きく出てしまいましたね。

文学は有名なものから無名なものにいたるまで、多くありますが わたしたちがかわしたものは 無名の手紙文学です。

その上 肉筆でしょう。 そこには 大衆文学もあれば、においたつような毛筆表現もある。 わたしのはまんが文学かもしれない。だからこうして「おたより」の場所をもうけたのです。

「こいつなんでもかんでもアップしやがって、危険きわまりないやっちゃなあ」と思われるでしょうか。 たしかに。でも、しかし、(でもしか)なんでも出すことはいけません。 今出させていただいてる手紙やメールは許可をとりました。 親友の手紙はすごい文学ですが、亡くなったので許可がとれません。ただゆっくり読み返してみるのみです。 肉親の手紙は 霊界通信で とりあえず強引に許可を取って 出せそうです。

ご安心ください。 ぼけたときはなにをしでかすかわかりませんが それまでは 大丈夫。

いずれまた


《 2015.02.12 Thu  _  エッセー 》