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1ぺーじ

『外骨という人がいた』赤瀬川原平著 白水社 続きです。

計画書「外骨の表現」
明治、大正、昭和を生きた博識者であり、新聞雑誌発行者であり、新聞雑誌蒐集研究家であり、その他、社会の隅々、知識の底辺、好奇心の最前線に常に立っていた宮武外骨の、新聞雑誌発行を通しての表現におけるアクチュアリティを目の辺りにすべく、本書は構成される。  

外骨の表現というものは、その昔(その当時)はいざ知らず、この今それを見るものにとっても驚くほど「現代的」である。これはその時代にヨーロッパを中心におこったというダダ、シュールレアリムスとつづく表現の「現代性」を、それらよりも一瞬早く、しかも芸術と言う概念とは無縁の大衆雑誌の真只中で軽々と表していることによっても思い知らされることである。
 これはその時代への迎合をいささかも配慮せず、しかもその時代を生きる自らの飾りなき感性にひるむことなく忠実であったことの・・・(以下恥ずかしいので略)。

 やはり活字にするつもりのない文章というのは、どうも何だか面映ゆいものである。それにこんな計画書なんて書くのははじめてであり、そのスタイルに面白がってかいているフシがある。でもこんな計画書を提出して、それが曲りなりにも編集会議を通ったようで、それじゃあその、現代の若者と外骨、現代芸術と外骨といったやりくちで行きましょ
うと、白水社で宮武外骨、フランスパンに鯵(あじ)塩焼きを添えることになったのである。  とここまではよかった。なるほど、外骨について遠慮なく書けそうだと、明るく元気な気持ちになりかけていた。しかしその計画の陰に隠れて、またもう一つの別の物語が進行していようとは、その時は浜田誰も気がついていなかったのである。

 私の生まれる手続きをしたのは赤瀬川原平である。この赤瀬川と私は本人の間柄なのであって、この話ちょっと面倒でしょうが、楽な気持ちでお読みください。
 1979年の五月、中央公論新人賞にこっそりと応募していた赤瀬川は、『その肌ざわり』という小説の筆名に「尾辻克彦」と書いていたのであった。それまで『櫻画報』をはじめとするパロディの仕事が本業であった赤瀬川は、その本業に倦怠を感じていた。自由への倦怠、平和への倦怠と言えばいいだろうか。それはパロディというものが世に公認されてからの感情である。その結果、赤瀬川はむしろ固苦しいものに新しい刺激を感じながら、その先で「純文学」とい伝統ある堅苦しさの中へはいり込もうとしていたのである。髪を金色に染めて、頬にピンを刺して、革のジャンパーにナイフの裂け目を入れて、そうやってツッパッていた暴走族が、なおもツッパリたくてネクタイを締め、ダークのスーツに身を固めて丸紅飯田に入社したと、そんなツッパリがあるとしたら、でそんなことをしながらもまさかとは思い、夕方にはまだちょっと早いというビールを飲みながら、
 「そうだ、そう言う形で奈良外骨は書けそうですね。今を書けばいいんだから。今を」
 「いや、外骨の面白さって、ほんと、そういうとこなんですよね」
 「ちょっと、も少しオツマミ、頼みましょうか」
 「そうですね、あとビールも、二本ぐらい
などと私はITといっしょに外骨の書きはじめを祝っていたのであった。
ところが

***

まず、わたしがここまででショックだったのは、自分はいまだ「ツッパッていた暴走族」を平気で抱え込んでいることでした。ものごとは変化していくっていうのに。それはどうしてか。つまり、「暴走族の片鱗はアーチストには必要よ」と思うのを自分が止めないでいつまでもうれしそうに持っているからに他ならないと、こうして読んでいるとそういうことがわかってくるといいますか。宮武外骨のことが気になるのも赤瀬川原平が気になるのもそのせいかもしれないなと。

ー赤瀬川原平という人は本業であった『櫻画報』をはじめとするパロディの仕事に倦怠を感じていた、とあります。自由への倦怠、平和への倦怠。ー

私がいままでつっぱっていられたというのは 自由のこと今どうなっているかを知らなかったからだけかも。 「自由や平和はもうあるのですか?」 「自由がない、自由だ自由程すごいものはない」、と追い求めていたからツッパッていられたともいえるんでしょう。「自由」なんて食べてみると、ふにゃふにゃでたいした味はしないのかもしれない。「いいからいいから自由をお持ち帰りください」などと軽くいわれるとどうだか。
 
そうなると人はこんどは堅苦しいものに行こうとする。 長いこと自由があると倦怠感さえ出てくる。わかるような気がしてきた。
それを感じずにきた私はなんなんだ?

  「しあわせなんよ」ある面。
私の中にある、「きわめるまえに移行せよ」とは「ラセン的成長オクラせ術」は「倦怠感予防薬」でもあったわけで。
   「しかし」というのはやめましょう
なぜって、65才で方向転換するのはしんどいで〜
赤瀬川さんや他の勇気ある飛び込み人は、自由を繰り返しているうちに、倦怠感さえ覚える所まで行きなすった。

  「ごめんなすって、ごめんなすって! 倦怠感から逃げておりました」

もうひとつ、この提出する計画書、恥ずかしいんだ! いやどこがこの計画書恥ずかしいのだ?これの次?次を次の人のために書いてほしかった。

あしたはくるか? マウスの横に同じような石を置く。そして、マウスを動かそうとしてその冷たい石にさわってしまう、このちょっとした喜びはなんなのだ? この話とは全く関係なさそうだけど、新鮮です。  さいならさいなら


《 2015.02.07 Sat  _  ちまたの芸術論 》