文体論パート2"東光は色の白い、大きな、いたづらっぽい眼をした、絶世の美少年でした。「信じられない。」と人が言ひますが、その人は五十年の歳月のことを忘れています。いまの彼にもある、人を人とも思はぬ風が、その頃には、良家に育った不良少年と言ふ印象であったのは、彼のために不名誉ではなかったと思ひます。しかし、彼の持つこの二つの印象は、都会に馴れない田舎娘にとって、憧れと一緒に、一種の惧れを抱かせるものであったかと思ひます。恋人同士と言ふほどの、さし迫った間柄ではなかったにしても、いつ、どうして、どう言ふ事情があって会はなくなったものか、いまでは思いひ出せないのです。しかし、ここに一つの話があります。そのころの芥川龍之介の短編に「葱」と言ふのがあります。細かい内容は忘れましたが、在る男が女と散歩していて、在る気持ちになったとき、ふいに女が、道端の八百屋の店さきに駆け寄って、「この葱を下さい。」と言って、三四本の葱を裸のままで提げて戻って来るのです。ラヴシーンと言ふほどではなくても、そんなときに、ふいに、世帯じみた葱などが眼につくのかと思ふと、男は興醒めしました。つまり、さう言ふ話なのです。これは私と東光との散歩の間に起った事実を、芥川が聞いて、小説にしたのだと言ふことですが、のちにこの話を聞いた私は、如何にも、そんなときに、走って葱など買ひに行きさうな自分のことを、をかしく、またちょっぴり可哀さうにも思ったものでした。"みをぎ
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みをぎさんおたよりありがとうございます。
ここのところみをぎさんは私たちの文学部の先生ですね。この「文体論 パート2」は
弱小生徒の私がはじめて当てた作家です。さて誰でしょう?
今東光という作家は私が知る限りではおじいちゃんで、お坊さんもしていて、そうですねえ、瀬戸内寂聴が剃髪して出家するというとき、そのときに立ち会った人だったように記憶してますが。
男と女が散歩していて、彼女はふいに八百屋の店先で「葱をください」といって三四本の葱を裸のままで提げて戻って来るのです。
それを見た男は興醒めしてしまいます。 このことを芥川竜之介が聞いて「葱」という短編に書いたというわけですが。あの芥川賞の芥川龍之介が出てる、とびっくりしながら、さてこの女の作家は誰だろうと、ない頭で考えてみるのでした。
今東光と散歩していた女とは「宇野千代」です。
宇野千代は自分でも書いていますが、料理が好きです。春のお花見のときにつくるお重、それはていねいできれいでおいしそうです。そしてどこか素直なところや無邪気なところがあるようでした。 八百屋のところで葱をみるとデートのときでも小走りに葱を買いに行く、らしいなあと思いました。でもそのころの男だからなのか、今もそうなのかそれは興醒めするようなことなのですね。 「のちにこの話を聞いた私は、いかにも、そんなときに、走って葱など買いに行きそうな自分のことを、をかしく、またちょっぴり可哀そうにも思ったものでした。」と彼女は書いています。ちょっぴり可哀そう、なぜかなあ。
デートのときに、私なら緊張してるから葱を買いに行く、これは無理。みなさんはどうですか。 これを見て興醒めする男、今東光(芥川龍之介はどっちなんでしょう)のこと、どう思いますか?
私が週刊誌で見た頃の今東光はもう少し、がははと笑って「おもろい女や」ぐらいなこと言いそうな人に見えたんですが。ーー東光は色の白い、大きないたづらっぽい眼をした、絶世の美少年でした。「信じられない。」と人が言ひますが、その人は五十年の歳月のことを忘れています。ーーここまでは分かるのですが、次からが私にはわからんのです。
ーーいまの彼にもある、人を人とも思わぬ風が、その頃には、良家に育った不良少年という印象であったのは、かれのために「不名誉ではなかった」と思ひます。ーーここなんです。 「不名誉でなかった」に「か」を付け加えてみるとよかったと思うんですが。「ひとを人とも思わぬ風」というのは悪い意味ではないのでしょうが、なんかそいういうふうに聞こえる私なんですが。どんな人とでも臆せずものを言う、ということ?
みをぎ先生、こまかいことですんませんです。
「葱」読んでみようかな。
つぎはどんな名文が出てくるんでしょうか、そして私はその作者を当てることが出来るのでしょうか。 おたよりおまちしてます!