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おたより


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文体論パート8《明治四三年には、「大逆事件」が起きている。明治天皇暗殺を企てたとして幸徳秋水や管野スガ等一二名が翌年一月に死刑にされた。そして処刑の年明治四四年には、文部省の国定教科書『尋常小学日本歴史』が、南朝と北朝を並立した記述をしていることが、帝国議会で問題になり、桂太郎内閣は動揺し、明治天皇に上奏した。他界する一年前の明治天皇は勅裁で、南朝が正統であると認めた。天皇自らが帰属する北朝の血統的非正当性を認めてしまったことになる。いわゆる「南朝正閏論」である。これらの事件は、明治天皇の死の可能性(Xデー)を射程に入れた、思想的統制の象徴的なあらわれだったと言えよう。「七百年の間」の「武家の政治」を全否定する歴史認識を「軍人勅諭」で創ってしまい、「神武天皇」から始まる神話的な天皇神権を正統とし、「古」に「復」すことを宣言してしまい、その「軍人」が遂行した戦争によって欧米列強と肩をならべる「帝国」になった以上、しかたのない動機だったのかもしれない。まちがった「武家の政治」の七百年の間、正統で正
当な天皇親政は、後醍醐天皇の「建武の中興」しかなかったからだ。しかし「南朝」を正統だとすることは、自らの非正当性と「万世一系」が虚偽でしかないことを認めることなほかならない。政治的歴史的寓意(アレゴリー)が多くの場合、皮肉な調子を持つというジャンルの特性が実に巧みに生かされているといえよう。 なぜ天皇は、自らの正当性を裏切るような形で、南朝を正統だとしてしまったのか。その理由について、歴史学者の網野善彦氏は、次のように理由づけている。"江戸時代になって、武家に対する批判がでてきたとき、それにかわる権威は北朝ではだめなんですね。北朝は武家と野合し続けている天皇ですから、持ち上げようとしても持ち上げようがない。南朝があったからこそ、はじめて武家に対して対抗しうる権威として天皇をかつぐことが可能になっているわけで、南朝の存在がなければ、これは不可能だったわけです。だから、明治天皇は北朝の子孫なのに早くから南朝を正統とすることにきめたのだと思います。"》憲子さん、まずは「南北朝」を思いだしてくださいね。天
皇が2人いた時代です。どちらが正しくて、どちらが正しくないのか?それは、見方によって色々でしょうね。両者で話し合い、代わる代わる天皇になる、と約束したのに、いつの間にか南朝系にしかるべき人物がなく、北朝の天皇が続くことになってしまいました。明治天皇は北朝の天皇です。ご自分が正しくはない、と認めているのです。天皇が即位するときには「三種の神器」が必要になります。ヤサカニノマガタマ、ヤタノカガミ、アメノムラクモノツルギ(またの名・クサナギノツルギ)がそれです。この中で、剣は熱田神宮、鏡は伊勢の神宮、玉は皇居にあるとされます。皇居にある剣のレプリカのアメノムラクモノツルギは、源平の戦いのときに、平家出身の安徳天皇が壇ノ浦の海に入水したときに、海に沈み、見つからなかった、のちに造り返します。模造の鏡は皇居の賢所(本物は伊勢神宮です)にあり、勾玉、レプリカの剣(本物は熱田神宮)、は、天皇とともにあるとされます。天皇が地方行幸のときに、いつも持って行くという説があります。ですから、ご用列車は必要となりますね。
天皇の他の人は見てはいけないわけですので。あとはわからないときにはネットで検索してくださいね。それか夫さんに聞いてくださいね。これは文体論をはみ出し、歴史観は司馬遼太郎に頼るだけではなく、自分なりの意見も持ちましょう、という提案です。私は神職ですので、天皇制を支える立場にありますが、この筆者は、天皇制に対して懐疑的な人に思えます。でもそれを排除するのは、民主主義に反しますので、他人の意見はちゃんと聞きます。みをぎ


みをぎさんおたよりありがとうございます。
またまたむずかしいクイズ、おそれいります。

でもテレビの大河ドラマ「平清盛」では「アメノムラクモノツルギは源平の戦い、平家時代に平家出身の安徳天皇が壇ノ浦の海に入水したときに、海に沈み、見つからなかった、のちに造り返します。」あんなに必死で平家側が守ろうとした天皇が必要とする「三種の神器」のうちのツルギ。それは南北朝の時代から伝えられてきたものなんですね。天下をとるとそのときは未来永劫それが続くと信じたいんでしょうね。でも歴史をみると今までには栄枯衰退があって、そうはいかない。
 
日本という国があるということについてちょっと考えさせられました。 南北朝の文字通り天皇は北と南にあって、両者がかわるがわる順番に天皇になる、ということになっていたんですね。そうなると天皇になる人を産むのは一大事です。昔はいくら身分が高くても、病気で死ぬ子供は多かったようです。お世継ぎを育て上げる事は大きな事だったんですね。 
明治天皇は本当は北朝の人だったんですね。江戸時代には北朝よりだったのですね。順番はどこかにいってしまったのかしら。 明治時代には武家の時代を完全否定して南朝の天皇を必要としていた。南朝にしかるべき人物がいなかったから北朝出身の天皇、明治天皇になった、というわけですね。

天皇家の紋章だってそれがなかったら天皇とは認められない。「三種の神器」とはサカ二ノマガタマ、ヤタノカガミ、アメノムラクモノツルギなんですね。安徳天皇はサカニノマガタマとヤノカガミは持っていかなかったの? 三つも重すぎるかなあ、などと想像はふくらみました。今は南朝の流れをくむ人たちはいるのかなあとか。そもそも三種の神器は文字からいくと神様の持ち物ってことなんですか?

そろそろクイズの答えをしぼりださなくては。うーーん、どこをたたいても出てきませーん。

答えは松本清張。
みをぎ教授はこう書いています。
この「南朝正閏(じゅん)論」については、北九州市にある、松本清張記念館の機関誌「松本清張研究」の中の抜粋でした。清張は、社会派と言われ、様々な資料を集め、書いています。資料集めは、当時、文芸春秋の編集者であった藤井康栄さんです。最後の作品『神々の乱心』は、未完ですが、上下2冊になっています。これは皇室にいる女官たちについて書かれています。清張はこの作品の中で、苦悩する昭和天皇についても書きたかったようです。でも戦前生まれの清張には、あからさまに書くことに、ある畏れがあったと思います。それで、もっと書きたかったのは、何かと、あとの研究家が憶測しているわけです。明治天皇はたいそう立派な方だと思いますが、崩御される1年前に、自らが、「北朝に属している、本当は南朝こそ正統である」と勅裁(ご自分で決めた)された、こうすることで、つぎの大正天皇も、昭和天皇も、今上天皇も、北朝である、ということを、国民に向け、はっきりと、言った上で、国と国民を守ると宣言されているのです。戦後すぐには、「私が本当の南朝の天皇である」という人が現れました。「熊澤天皇」が有名です。しかし、国民は、昭和天皇を支持しました。昭和天皇は、かなりの努力をされ、そのお人柄から、外国人にも支持されたようです。昭和天皇は、対外的にも努力されたと思いますが、宮中には、女官による複雑な動きがありました。新興宗教に走ったのです。女官だけではなく、もっと高貴な女性もふくまれるという憶測です。その新興宗教は明治政府が決めた神道ではなく仏教系とされますが、清張は、そこまで書けず、未完に終わりました。またね。みをぎ

松本清張、すごい作家でしたね。天皇家は宗教の自由なんて許されない、伝統を守る事が最優先されているのですね。日本の歴史を背負ってる人たちなのですね。

おたよりおまちしてます!

 
《 2015.02.10 Tue  _  ちまたの芸術論 》