『植草甚一コラージュ日記』の続きです。
この文面の後、1ぺーじいきますか。ここの所はまるで植草さんと私のなかば「空想とつぶやき」です。もしかして読んでいただくみなさんにわかりにくいかもしれませんが、あしからず。
そんなことを考えながらタテ線はやめてウズ巻きにしてみたら円周がひろがるにつれて、うまく描けなくなった。人間の格好でやってみよう。どうもつまんないな。バスが渋谷に着いたので降りたあとで車輪をながめた。車輪というよりタイヤと呼ぶほうがいいのかもしれない。そのつけかたが、バランス的にいいか悪いかは、やっぱり分からなかった。とにかくこんどニューヨークに行ったとき比較してみよう。官益坂の正進堂で洋書古本六冊。三三〇〇。ひさしぶりに筋向かいのトップでコーヒーを飲みながら買った本に目をとおす。トップのコーヒーは普通より濃くっていい。
二月二十日(金)晴。四時まで池波を読んでいたが、すこし歩きたくなったので小田急デパートへ行き、陶器部をのぞいたら小品展みたいなのがあって「番 」という人の小型の急須がとてもいい。六六〇〇円。どうしょうかなと思ったが買ってしまった。ヤシカの隠し取りカメラのレバーのおれたやつ。修繕ができていて七千八◯◯円。帰宅してから寝るまで朝日ジャーナルの特集・ロッキード公聴会の記事読んでいた。
二月二十一日(土)いい天気だ。九時に起きて「コミュニケーション」の原稿五枚を半分だけ書いてから散らばった本や雑誌の整理をはじめると、こっちのほうが面白い。夜の九時にペラ十一枚で「コミニュケーション」の原稿片付いた。「家庭医学」の原稿も書いてしまおう。(後)
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一九七六年二月十九日〜二十五日
二月十九日(木)電車の中は本を読む場所になる植草さん。その日は池波正太郎。車体がはずんで読みにくいときも。(はずんで、というんだ)バスの中ならちゃんと読めたのにと。経堂から渋谷行きの電車は揺れどおしのうえガタンとくる、ですか。バスと電車、とにかくこういう乗り物に乗っては本屋に行ってるんだから、そして家に帰るまでの乗り物の中でも、その本たちをパラパラやらずにはいられない人ですから。本読みがだめなら、こんどは池波用メモ帖にタテ線をボールペンでひっぱってみる。ところが直線にならない、ブルブルとふるえて。それを飽きるまでおもしろがってる。面白い人だなあ。ニューヨークのバスはそんなには揺れなかったことを思い出す。(1976年ごろ、揺れてたのかなあ。今も結構揺れてるような気がするんだけど。)(これは歳のせいかなあ、運転手さんだって「揺れますからお気をつけ下さい」っていうもの)原因は何でしょう。植草さんはあっちのバスは図体がでかくて車体が重いせいかもと言ってるんだけど。道路のでこぼこよりそのせいだよと。そうかなあ、道が曲がりくねってるせいかもしれないよ。まっいいか、(植草さんはもういないんだぜ)。 バスを降りたら車輪の位置がどうなってるか覗いてみよう、だって。これだけ震える絵を描いてみたんだから、覗いてみたくなるか。ははは。 こんど私もブルブルふるえる絵を描いてみようかな。その前に気分が悪くなってるぞ。 このぺーじ、その絵がカットとして入ってる。ウズ巻きにもしてみてる。円周がひろがるにつれて、うまく描けなくなったと。みなさん、「バス絵」でもどうですか? タイヤのつけかたとバランス、(ちょっと意味わかりません)ニューヨークでまたバス絵を描いて比較してみるんだって(面白い人)。宮益坂の正進堂、出てきましたね、前も。洋書古本六冊、筋向かいのトップで買った本に目をとおす。ここのコーヒーは濃くてうまい。(わたし、植草さんとだいたい同じこと書いてるわ) 二月二十日 本を家で読んでるといくら面白くても、こんどは出歩きたくなる植草さん、これはバランス取れてるんじゃないですか。運動にもなりますし。ただ途中でお店に入ると、今回も小田急デパートで(難しくてわたし読めない)急須六六◯◯円買っちゃった。(そうかロッキード事件のあったころの話なんだ) 二月二十一日
「コミニュケーション」の原稿を。散らばった本や雑品の整理をしているとこっちのほうが面白くなる、植草さんの雑品面白そうですもんね。いっしょに買い物つきあってみますとね(読んでるとそんな気分になるんですよ)部屋は雑品だらけのはずです。 そんなことをしてまた原稿「コミニュケーション」や「家庭医学」の原稿を書いてしまおうってわけ。またあしたさいならさいなら