『植草甚一コラージュ日記』の続きです。
今日はもう夜になってしまいました。朝から晩までこういうことやっているわけじゃあありませんのですが、出かけたりするとこんな時間になってしまいます。
一月二十七日
「宝島」ふといいアイデアが浮かんだわけですね。この本、今もやってますよね。むかしから好きで読んでいます。双葉社とウエスターン小説の打ち合わせ会、はい聞いてますよと相づちをうちたくなります。何度か同じ名前の出版社が出てくるからです。あいかわらず古本を買いましたね。つまり毎日のように古本を何冊か買っているということになりゃあしませんか?いいですよ、自分のお金で買ってるんですものね。このたくさんの資料の中から濃い魅力ある文章が生まれるのでしょう。「駅前の学生用バスが止まってるので乗った時百円硬貨のおつりが多いので、そのときはちょっと分からなかった」、理解力のすくないわたしはわからんのです、どうしてこう書いてあるのか。まあいいです。正門前の角の「白謳堂」ではフランス語の本。穴八幡あたりの模様がすっかり変わってる。その時変わってたら今はどーなってるんです? 飯田橋の喫茶店で買った本を見ながら高畑さんを待つ。イタリック・セットのペンは書きいいんですね(うらやましいわ)。アメリカ製だと思ってたのにイギリス製(よくある話です)PLATIGNUMという銘柄。シェイファーとどっちがいいですか、どっちが安いですか? (聞くなよ、そんなこと)神楽坂、片岡義男さん、編集の人、飲んだりご飯食べたりですか。稲葉明雄さんからチャンドラーの書評の丁寧な礼状が、「キレイな字を書く友人の数をかぞえる」。稲葉サンきれいな字なんだ。眠くなる。きょうも植草さんの一日が終わるのか、こんな風にして。(きょうわたし疲れてるのかなあ、すべてがどうでもいいことに見えてきましたよ) でも、これがここちいいのかも。またあしたも植草さんに会いたくなるよ、きっとね。(ぴーさんの子供の頃描いたカマキリの絵、出て来なかったんや)ついでにつぶやいてるんですけど。ここに入れてもわからんくらい、この日記は雑然としてませんか?またあした、さよならさよなら。