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おたより



のりムラさん、キリンのハイネックさん、こんばんは。
ルーズベルトさんはルーズソックスはいてるのかな?

朝は電車の音が聞こえてきたのですね。
朝がはじまる音ですね。ガタンゴトーン。ポッポー。


Sちゃんさんからのお手紙拝見しました。
「洋服の色やらチャンネルの数字やらメガネをかけてることを云って...」
みなさんの興奮している様子が目に浮かびます。
「ふーふー通信」ネイミングも楽しげですね。
貧乏暮らしのおはなしものぞいてみたいです。いつの日かぜひ。

中国の双子の子のおはなし。
言葉や文化が違う環境で育っても、
そんなことをはねのけるくらい磁石のように引き合って、
ピピピとなかよく通じあうふたり。
「ふしぎなこと」はキラキラと起こるのですねぇ...


ぴーさんは動物が好きですね。

わたしは動物が好きなのかぁ!
初めて知りました(笑)
のりこさんとおはなししていると、今まで知らなかった自分に出会ったり、
新しい自分がニョキニョキ顔を出すのでおもしろいです。

そういえば小学6年生の夏休みの自由研究で、
友だちと保健所の犬や猫たちのことを取材してまとめたことがありました。
その友だちと「獣医さんになろう!」と約束したような...遠い記憶。
そして、まいごの犬や猫を連れてきては両親を困らせていました。

でも、卒業文集の将来の夢には「画家」と書いているのです。
どうして「画家」と書いたのかいまだにナゾなぞナゾ。
美術の授業は好きでしたが、絵が上手だったわけじゃないし、
ほとんど時間内に完成までたどりつけなくて
未完成の絵や工作が教室に飾られました。
すこしだけ悲しいような淋しいような記憶があります。
今も、のろりのろりの人生です。


まどみちおさんの詩集を借りました。


『くもりびだった』 まど みちお

一めんどんよりした
まんべんないくものまんなかを
ながれていたのだ
一まいのビワのはっぱほどの
あおいそらが
ながれるともなしに
しずかにひるがえりながら・・・

なぜかそれをみあげているのが
わたしというにんげんひとりだけだとは
とてもしんじられなかった
ああ ともだちになりたい!
いまみあげているいきものならば
だれでもなんでものこらずみんなで・・・
きょうつうの たのしいヒミツを
もっているものどうしとして・・・
と としもわすれて
いや としだからこそ
コーフンしているわたしだった


「ああ ともだちになりたい」
この感覚、NEKO美術館で感じていることとピッタリきたので、
まどさんの詩をみてびっくりうれしくなりました。

NEKO美術館で出会えるみなさんや、のりこさんの作品、
ことば、空気のなかにいる人や動物、植物みんなと
ともだちだと想像することがとてもたのしいです。

と のろまもわすれて
いや のろまだからこそ
コーフンしているぴーだった(笑)


「トラちゃん」読みたいリストに書きました。たのしみ!

そして今日はやっぱり
お母ちゃんになるのがこわくなっちゃった
もじもじ ぴーより。


<まどみちおさん.jpg>

ぴーさんおたよりありがとうございます。

ねこのムラカミ記者は何時頃「寒いぞ、起きてくれ」と言い始めたのか、ストーブのそばで、ストーブにぴたっとくっついてないています。たしかに寒いです。ストーブをつけておむつをかえて朝がはじまります。新聞配達はもう終わってる。牛買ってる人は何時に起きるのかなあ。

「ふーふー通信」はそのころ結構貧乏でふーふーいってたからこのタイトルになったと思うんだけど。この場をお借りして貧乏話が花を咲かせることができるなんて、うれしいですよ。

ぴーさんは動物が好きよ。お母さんたちも好きです(占い師みたいですね)。たしか夫マン氏はかまきりだってじっと見つめましたよね。くじらだって好きになると思いますよ。そのうちなにかといっしょに暮らすようになるでしょう(勝手に決めるなって)。

ねこのおむつムラカミ記者も元は段ボールの中にいたそうです。それがもうりっぱなおじいちゃんになって。犬のミッキーは製材所でうれのっこっていて、お母さんと一番長くいた犬です(7歳で死にました)。 金魚はおまつりで金魚すくいのあみにひっかかりました。(そのへんにしとけって)

ぼくは保健所で里親にひきとられました、なんて動物もいるでしょうね。
ぴーさんはどんな取材をしたのかなあ。

ぴーさんの将来の夢は「画家」だったんですね。ナゾの画家志望。ポケットにしまっておいてくださいよ。ひょこっと顔を出した日には絵を描くとか。

まど みちおの詩、『くもりひたった』おもしろいタイトルですねえ。
詩も何回か読まなきゃ様子が分かりませんでした。でもじわりじわりと効いてくるんだなあ、この詩。 「ビワのはっぱほどのあおいそら ああともだちになりたい いまみあげているいきものならば だれでもなんでものこらずみんなで・・・きょうつうの たのしいヒミツを もっているものどうしとして・・・」、そんなふうにあおいそらをながめたことないなあ。この詩集『逃げの一手』、タイトルもまどさんらしいでしょう。

「とらちゃん」作者の幅広い生き物との交遊は驚いて笑ってしまいます。

NEKO美術館の動物たちもけっこうおもしろいですよねえ(あっ失礼しました)。

今日お母ちゃんになるのがこわくなっちゃったぴーさん、明日はどうなるかな。  

小川洋子という作家のお家は「金光教」なんだそうです。どんな宗教なんだろうと思って見ていくと、これは神様と人間の関係を作っていく宗教なんだそうです。「その関係はまだ確立されていない。なぜなら、神様のことを「親神様」という言い方をするのですが、要するに神様は親なんです。氏子というのは子供で、親神様と氏子が親子の関係を作っていくことが信心するということ。神様は親として、氏子たちが悩み苦しんでいるのを見て、心を痛めている。金光教で一番救われていないのが神様なんですね。ですから信者たちは神様を救う為に、信心をするんです。 この金光教の考え方で究極なのが「死んでもままよ」ということなんです。死ぬってことも神様の計らいだから、何も怖いことはない、どんなことも神様の計らいで自然にそうなっているんだから、任せておけばいいという、なんとも消極的な宗教なんですね。「こうしなくちゃいけない」とか「こうしないと救われない」とか「これをしてはいけない」とか、そういうことがない。協会のお参りも来たければ来ればいいし、来れなければ来なくてもいいっていうところもあります。」とこの作者は金光教のことを説明します。これは河合隼雄さんとの対談で話をしたことの一つですが。なぜこの話をしたかって? きのうそこの所を読んだからです。

2日ほど「マッサン」みてないんです!今日まとめてみなくちゃ。
おたよりまってるけんなあ!
《 2015.01.10 Sat  _  ちまたの芸術論 》