これはね芸術新潮の2004年9月号で「円空」を特集しています。
わたしはこの荒削りの円空仏を本のなかに見つけたとき、なんだか温かい気持ちになったことを思い出します。手でさわってみているような。 全く別の話なんですが、こんな経験をしました。あれは松本の家具屋さんだったとおもうんだけど、ある彫り物が目にはいったんです。何体もあるのですが、それは仏像ではなく、マリア像のようでした。こういうものがいっぱい置いてありますと、なんだかありがたいというよりも、なんだかというかんじではありましたが、「これは素人さんがつくったもんでしょうなあ」とそこのお店の人は言いました。それを手にとって見ているうちに、ありがたい気持ちにさせるところが出てきて、「これいくらなんですか?」と聞いてみました。「いっぽん600円」ということでした。「いっぽん600円?」まるでだいこんのことを言ってるようです。その中の3ぼん、いや3体を買いました。スーパーのビニール袋にいれてくれました。 手でふれてみても木の感触はやさしく、この作り手もなにかの祈りでこんないたくさん作ったのかしら、と円空のことを読んでて思います。それをさわってみて、見る者を包み込むようなこれらの仏やマリア像。一本、いや一体600円だからこそ、わたしはそれを買ったといえますが、円空と同じにおいを感じ取っているんですけど。
円空仏を手にした貧しい農民など、そういう人々はかえってその仏を大事にしたのかもしれません。値打ち、価値、などとは別のところで。そういう出会いを円空の仏は何度もしたんでしょうね。それとね、円空の作は滝の落ちて来るような荒々しい、激しい所も見えます。自分と闘っているような。いろんな発見があるんですね。人のこころが一つじゃないようにいろんな形がのみをふるう中から現れて来る、ほんますごいわー。あっ、感心しすぎて、めまいをおぼえるほど。円空仏やマリア像で気持ちを整えなきゃ