これは河出書房新社から昭和55年に出ている「人生読本 旅」です。ひとは誰でもただひとり 旅に出るということで、山田太一、大岡信、開高健、五木寛之、唐十郎、阿川弘之など、あれ、寺山修司は表紙には載ってないですよ。でもあるんです、この本のなかに。「私にとっての旅」。住所は線路の上だった、逃亡という名の旅、カタツムリの詩、ヤドカリの詩、このヤドカリのところはですねえ、「私は長いあいだ"家出のすすめ"を書きつづけてきたが、それは一言でいえばヤドカリの思想であった。裸でとび出せば、どこへ行っても住むところはあるのであり、何とかなる。黒人詩人のラングストン・ヒューズは、ーどっかへ走って ゆく汽車の 七十五セント ぶんの切符をください ね どっかへ走って ゆく汽車の 七十五セント ぶんの 切符をください ってんだ ーと疎外されている黒人のやるせない気持ちを詩に書いたが、「七十五セント」しかもってなかったら、それで行けるところまで行けばいいのであり、それが彼の「旅立ち」というものだ、という訳なのである。それに対して、一家そろってする現代人のレジャーとしての旅行は、カタツムリの思想である。」と。それから、寺山修司は自分がヤドカリの「出会い」こそが、私の考える旅ではないかと思ったのだ、ということを書いていたりするのでした。こういうことを思いつく寺山修司。七十五セントの後はどうなるのとか、それじゃ宿に泊れないじゃん、とか思うわたしはまず、失格。でもこんな言葉にのせられて寺山修司の世界にはいっていくのもよろしいかも。唐十郎のところも読んでみようかな。靴みがきの道具とハブラシだけで一生旅をしてくらしているヤドカリ爺さんのはなしもありますよ。「あらゆる人生上の悩みは、すべて記憶をもつことに原因している」というのが
そのヤドカリじいさんの持論だったとか。旅をするとこういう人に出会うんだぜ、あんた。というわけでしょうね。旅ですか、行きたくないなあ。こまったもんです