息子が私のことを、なんか「おとん」と呼んでくる。
「おとん」とは「おとうはん」が変形した言葉であるとされておりますとおり、いわゆる関西方言。個人の見解にはなりますが、関西エリアでない場所にお住まいのみなさんへその呼称が使用される際のニュアンスをお伝えしますと、同じ父親の呼称である「おやじ」を使用するようなものだと思っていただいて差し支えないかと思います。
息子の場合は言葉の発育が非常に遅く、小学校に入学した際にもややおぼつかない口調のまま入学したという経緯があります。それゆえに、我が家ではこれまで、もっとも発音しやすいと思われる父親の呼称「とと」が採用されておりました。ちなみに最近では、かの木村拓哉氏のご家庭でも「とと」が採用されていたということが明らかとなり、「あれ、キムタクも “とと” なの? へー、そう。俺も “とと”。奇遇じゃーん。いえーい」などと密かにうれしく思っておりました。
かくいう私も呼称を変化させることに関しては思い当たる節があります。私もちょうど小学校6年生の頃でした。私は当時「おもちゃ屋」という呼称が急に幼いものに感じ、恥ずかしくなりました。たとえばそれは、「車」を「ぶーぶー」と呼んでいるのと同じことのように感じたのでしょう。そこで当時の私は「玩具屋(がんぐや)」とその呼称を変えたことを覚えています。ちなみに私は母親のことを「お母さん」と呼称しておりましたが、「お母さん、玩具屋(がんぐや)へ行きたい」などと言っておりました。いっそのこと、「おっかさん、おいら、がんぐやへいきたいよう」と言った方がしっくりくる感じです。しかし、そもそも母親に玩具屋へ行くことを懇願することはアウトであると思っていないのに、おもちゃ」という呼称はアウトという、青年期に差し掛かった男子らしいアホなちぐはぐな言動が今ではかわいらしく感じます。
話を元に戻します。それまで、幼い目線で見て、感じる、まごうことなき 「とと」だった父親(私)が、成長をすることで物理的にも目線が近くなってきたことに加え、「自分はいつまでも子どもではない」というある種の反抗と照れを息子は表現しているのでしょう。
冒頭でも説明いたしましたとおり、「おとん」は「おとうはん」の変形。「おとうはん」は子どもが父親を呼ぶ際に使用する呼称ですので、まもなく中学へ進学する息子が「おとん」と呼ぶのは決しておかしいことではありません。しかし、私の感じるニュアンスですがやはり「おとん」は「おやじ」とさほど変わりがありません。
私は思うのです。息子よ。「とと」の次は、たぶん「お父さん」が妥当だ。それが嫌なら「父さん」だ。そして、それでも早いですが君が成人したあたりで「おとん」ではダメでしょうか。いかがでしょうか。
まだまだその口に馴染んでいない感じがするレベルでの「おとん」。まだまだ気を許すと「とと」がうっかり出ちゃってるレベルでの「おとん」。しかしながら、このまま「おとん」が定着しまうと、私、一気に老け込んでゆく気がしてなりません。私、まだ「おとん」になるには気持ちが追いつかないのです。もうしばらくは君の「とと」でいたいのであります。
◎【Today’s Memo】は平日の毎朝8時に更新。atelier naruse 代表・早川による、ちょっとしたエッセーのようなもの、です